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オリンピックPRESSBACK NUMBER
胃がん発覚から10カ月で他界「なぜ弟の徹が…」25歳で亡くなった“伝説のモーグル選手”森徹が滑り切った人生最後のレース「スキーできる状態じゃなかった」
text by

石井宏美Hiromi Ishii
photograph byAFLO
posted2026/02/20 11:01
1997年2月、地元長野県で行われたフリースタイルスキー世界選手権に出場した森徹さん。この年の夏、胃がんが発覚する
2002年ソルトレークシティ五輪では、徹さんの写真を胸ポケットに。団体のクロスカントリーのとき、敏さんは心の中でこうつぶやきながら徹さんと共に走っていたという。
「コース最後の登りで『トオル、トオル、トオル』と言いながら走っていたんです。『1、2、1、2…』という走るリズムと、『トオル、トオル』がちょうどいい語呂で合っていて(笑)。『トオル』と置き換えて走ると、いつも以上に力が出たんです。
ここぞという時のラストスパートではいつも『トオル、トオル』と心でつぶやきながら走っていました。ソルトレークシティでは一番力を込め、最後にダッシュした思い出があります」
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徹さんのライバルだった三浦さんは登山家としても活動。2003年に世界最高峰のエベレストに登頂したが、そのとき徹さんの写真をポケットに忍ばせていたのだという。
「あいつがいるとどこかで助けてくれるんじゃないかと思って。でも、弱音を吐いたらバカにされると思っています、いつも(笑)」
三浦さんは7月4日の命日には毎年必ず野沢温泉を訪れる。そして時々、「あいつに恥ずかしくない生き方をしているのか」と自問する。徹さんはたまに見る、自身の“鏡”だとも。
20年以上の月日が流れ、森徹というモーグル選手がいたことを知らない世代も増えているが、徹さんが遺したものは今も兄の敏さんや三浦さん、多くの仲間によって受け継がれている。
「野沢温泉はアルペンやジャンプ、距離などスキーの伝統的な種目が盛んな地域で、当時はまだフリースタイルに関してはそこまで理解を得られていなかったかもしれません。そこで徹がフリースタイルモーグルを始めたわけですが、その後、上野雄大氏、上野修氏らも出てきています。フリースタイルな人間で自由気ままに縛られない徹が、最初の殻を破ったことが、今にもつながってきているんだと思います」(三浦さん)
兄・敏さんが伝える弟の生き方
兄・敏さんは現在、東海大学の教授で同大学のスキー部ノルディック担当監督として学生たちの指導にあたっている。北京五輪ジャンプ男子代表の小林潤志郎やミラノ・コルティナ五輪でも名を連ねる中村直幹、男子ラージヒル個人で銀メダルを獲得した二階堂蓮(大学中退)らは、敏さんの下、世界へ巣立ったトップ選手だ。今でも、指導する学生や選手たちに徹さんを取り上げた昔の番組を見せたり、話をすることもあるのだという。
「彼が最後まで戦い抜いた姿がなければ、私のその後の人生もありませんでした。そういった意味で徹はいろいろなメッセージを私に残し、託してくれたんだと思うんです。彼の生き方や、人に与える影響はすごく強い。壁につまずいたり、乗り越えられず苦しんでいる若者たち、そういった人々の手助けや、何かヒントになればと思い、機会があれば徹の話をしているんです。若者たちには可能性を自分自身で潰さないでほしい、可能性はたくさんあるんだよということを伝えたくて」
日本スキー界の発展のため情熱を注ぐ兄の姿を、弟は今、どんな風に見ているだろうか。
「弟に恥ずかしくない人生を歩んで、楽しんでこの人生を精一杯生きていきたいと思っています。いつか向こうで徹に会ったら一番最初にいう言葉は決めているんですよ(笑)」
その言葉は何かとたずねると、敏さんはこう答えてくれた。
「私が今生きているこの一日、一日は弟が生きたかった一日で、だからこそ毎日無駄にできないと思っています。その時に“人生やり切ったわ”、“楽しかった”と言えるように」
25年とあまりにも短すぎる人生だった。だが、森徹というモーグル選手の存在や思い出は決して色褪せてはいない。そして、これからも決して彼を忘れない――。〈全2回/前編から続く〉
参考資料:『トオル、君を忘れない』(著・清水浩一、刊・ボロンテ。)



