箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「学生生活を楽しむつもりだったのに」のどかな部活に突然、箱根駅伝出場めざして日本トップ監督が…立教大「箱根への道」はこうして始まった
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佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2026/01/23 17:00
102回大会は20位に終わったものの、4年連続で予選を突破した立教大。その箱根への道はいかにはじまったのか、当時のメンバーが語った
「そもそも入部する際、箱根に出ることは考えていなかったですし、1500mがメインの自分が20kmを走ることもイメージできなかった。長距離は辞めて、中距離だけに専念しようかなとかなり本気で考えていました」
電車の中で「一緒にやろう」と説得
同期の石鍋は、斎藤の考えをよく理解していた。
2年生になった当初はまだ寮がなく、部活が終わると新座から池袋まで同じ電車で帰った。その車内で斎藤は、「ナベ(石鍋)がこのプロジェクトやめるなら俺もやめるわ」とよく言っていた。だが、石鍋にはやめるつもりはなかった。自分がどれだけ貢献できるか分からないが、憧れだった箱根駅伝を身近に感じられる良いプロジェクトだと考えていたからだ。
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「そのプロジェクトのためには、やっぱり斎藤の才能が必要だったんです。一番速かったですし、能力が高い。予選会突破には欠かせない。だから、俺もがんばるから斎藤も一緒にやっていこう、と電車の中で話をしました」
箱根に挑戦してみたいという石鍋の思いを、斎藤は以前から強く感じていた。仲間がそこまで真剣に考えているなら、やってみる価値があるのかもと思った。
「石鍋に『一緒にやってみよう』と言われ、いろいろ考えました。最終的には『せっかくだし、やってみよう』と箱根に向けて気持ちが固まりました。やっぱり石鍋が自分の話を聞いてくれたのが大きかったですね。それがなかったらやめていたと思います」
斎藤が長距離で活動を続けると決めたのには、2年の春先からタイムが伸びてきたことも影響していた。体型が高校時代に戻りつつあり、12月に上野が来てから練習量が増え、走りの感覚が戻ってきた。
斎藤だけではなかった。走力の向上を、チームの多くが感じ始めていた。
〈全4回の1回目/2回目につづく〉

