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「18歳で両親を亡くした」全女・元人気レスラーの“壮絶な半生”…「JBエンジェルス」で活躍した山崎五紀59歳が“アメリカで交際0日婚”した話
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by東京スポーツ新聞社/Shiro Miyake
posted2025/12/30 11:07
立野記代との「JBエンジェルス」でも活躍した元全女プロレスラー・山崎五紀さんのインタビュー(第2回)
――では、ここから先は、お話しできる範囲でかまいませんので。まず、出会いは全女所属時のアメリカ遠征ですよね。
山崎 そうです。マディソン・スクエア・ガーデンの試合後(87年11月)。「週刊プロレス」(の特派員)の取材が入ってて、当時の主人の店(日本料理店「GO」)の従業員が何人か試合を観にきてくれてて、取材後にみんなで飲もうかと、大勢で飲んだり食べたりしてたんですね。で、12月のクリスマスバケーションで、WWF(現、WWE)から「アメリカ内ならどこに遊びに行ってもいい」と言われて、唯一知ってたのが、ニューヨークにあったその店だったので、会社でニューヨークにホテルを取ってもらって、毎日みんなと一緒にわいわい過ごした。
――ご主人に、「将来はこの人と……」という可能性を感じましたか。
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山崎 なにもない。逆に、こういう人とは結婚しないな、と思ってたくらいです。サービス精神がすごく旺盛な人なんですよ。私たちは日本を出て間がないけど、向こうは3年ぐらい前に来てたから、(日本からすると)浦島太郎状態で、おちゃらけてもおもしろくない。「この人、顔は悪くないから、黙って飲んでればいいのになぁ」というのが第一印象で、この人とは結婚しないなぁって、ふと思ったんですよ。その後、彼が日本で永住権の審査があるから一時的に帰ってきて、私はフリーでジャパン女子に上がってたときで、引退を考えてたんですね。「そうなったら、ニューヨークに遊びに行くね」「おー、おいでよ!」なんてやり取りが、ずっとあった。私、うといんですよ。
アメリカでの“交際0日婚”
――プロポーズらしい言葉を察知できなかった、ということですか。
山崎 そうなんです。気づかないんです。あまりにも言われるから、10歳離れたお姉ちゃんに相談したら、「どういうつもりで言ってるか、聞いてごらん」って言われて聞いたら、滞在中に兄のところまであいさつに来た。だから、“交際0日婚”なんです。
――であれば、結婚生活をアメリカでスタートさせることに、不安はなかったですか。
山崎 なかったんですよ。これは全女の寮に入るときに似ていて、あのときは2番目のお姉ちゃんが当時の彼氏、のちにだんなさんになる人と一緒に、布団などを運ぶために車で来てくれたんですね。「寮に入るとき、普通だったら泣いたりするのに、あんたは『じゃあね、ばいばい』ってあっさり行っちゃった」といまでも言われて、すごくサバサバしてたことが、姉からすると寂しかったんでしょうね。(渡米も)感覚はそのときと同じで、彼がいるから不安はなかったです。1人じゃないし、住むところもあるし。
――とはいえ、その決断はなかなかできないですよ。
山崎 ネガティブな感情になるんですよ、ほんとは私って。プロレスのタイトルマッチのときも、そう。負けてがっかりしてる自分と、防衛してベルトを獲ってる自分の姿を前日に描いてしまったら、ずっと思いつづけちゃう。あのころに、考えないようにしようっていう自分に変えた、というのはありますね。〈つづく〉
(撮影=三宅史郎)

