格闘技PRESSBACK NUMBER
「18歳で両親を亡くした」全女・元人気レスラーの“壮絶な半生”…「JBエンジェルス」で活躍した山崎五紀59歳が“アメリカで交際0日婚”した話
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by東京スポーツ新聞社/Shiro Miyake
posted2025/12/30 11:07
立野記代との「JBエンジェルス」でも活躍した元全女プロレスラー・山崎五紀さんのインタビュー(第2回)
――当時、五紀さんは18歳ですよね。1年間で両親を亡くした未成年の女性の心情って、どういうものだったんでしょう。
山崎 やっぱり、寂しいですよね。あんな父親でも、飲まなければ優しいお父さんだったし、その部分を垣間見ることができてたから。酔って、暴れてっていうことが7割でも、3割はいいお父さんだっていうことを知ってるから、もうちょっと生きてくれてたらなって思うことはありましたよね。自分が子どもを持ったあとには、また違う感覚になりましたし。
――この経験は、その後に女子プロレスを続けたうえで、どんな影響をもたらしましたか。
ADVERTISEMENT
山崎 気持ちとしては、やり遂げる。それだけでした。親のためではなく、自分で選んで進んだから、やり遂げなきゃダメだなって。きっと、私の将来を楽しみにしてくれてただろうし。
「私生活が見えない」って言われてました
――全女時代のお話で、もうひとつ。質問はガラリと変わりますが、全女には3禁(酒、たばこ、男性との交際禁止)がありましたが、当時は彼氏がいたそうで……。
山崎 いましたよ。JBになる前で、まだ「フレッシュ・コンビ」とか呼ばれてた19歳のころかな。友達の紹介で出会った、ごくごく一般の仕事をしてる人。2~3歳上だったかな。クラッシュの人気がどんどん上がっていって、私たちも出る機会が増えたときに、(彼氏から)「自分を見失わないでほしい」「ちゃんと自分を持っててほしい」って言われたのを、覚えてます。人気商売で、まわりからチヤホヤされたら、人って変わっていくじゃないですか。だから。
――プロポーズ的なものは?
山崎 ない、ないっ。私も考えてなかったし、プロレスが一番だったし。4年目ぐらいから、忙しいけど仕事が楽しくなっていって、充実していって、収入も上がっていって、貯金もできて、住むところもちょっとずつランクアップしていってってなると、(結婚は)ねぇ……。
――立野さんは、10代で出会った交際相手に一途になりすぎて、仕事に穴をあけましたが、五紀さんは?
山崎 ないです(きっぱり)。休日に選手と過ごすことはしなかったし、食事に行くのも、知りあいがやってる店しか行かなかったから、よくいろんな人から、「私生活が見えない」って言われてましたね。ファンに対してもね、一線を引いてましたし、口数も少ないほうだったから、ちこさん(長与千種)はすごいなぁと思ってて。あのサービス精神ね。さっさとバスに乗ればいいのに、ファンの子とずっと扉の前でしゃべってて、よくできるなぁって、いつも遠目で見てた。
「この人とは結婚しないなぁって」
――恋愛つながりで、ここからはご主人とご家族のお話をうかがっていきたいんですが。
山崎 主人の話は……。いいですよ。あまり、したくないんですけどね。いま、別居してるんで。
――えっ!?

