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アルコール依存症の父、血を流した母…「やめて帰ったら、親がバカにされる」全女で活躍した元女子プロレスラー・山崎五紀(59歳)の“壮絶な幼少期” 

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伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

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photograph by東京スポーツ新聞社/Shiro Miyake

posted2025/12/30 11:06

アルコール依存症の父、血を流した母…「やめて帰ったら、親がバカにされる」全女で活躍した元女子プロレスラー・山崎五紀(59歳)の“壮絶な幼少期”<Number Web> photograph by 東京スポーツ新聞社/Shiro Miyake

立野記代との「JBエンジェルス」でも活躍した元全女プロレスラー・山崎五紀さんのインタビュー(第1回)

「やめて帰ったら、親がバカにされる」

――偶然、未来のタッグパートナーと会うなんて、運命ですよね。80年代の全女は想像を絶する厳しさだったと思いますが。五紀さんの場合は、挫折して帰郷するという選択肢がなかったのではないかと思いますが。

山崎 そういう家庭だったから、やめて帰ったら、親がバカにされると思ったから、帰れなかったですよね。言うじゃないですか、田舎の人って。実際に、「女子プロなんて絶対に続かない」って言われてたみたいだし。私の場合、中学を卒業して女子プロレスラーになった、そっからがすべてのはじまりですよね。自分で生きていくんだという。

――入団された1981年はビューティ・ペアが解散した2年後で、ジャッキー佐藤さんは在籍していましたが、決していい状況ではなかったはずです。

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山崎 入った年かな、その翌年かもしれないけど、あまりにもつらくて1回だけ、いちばん上のお姉ちゃんに電話をしました。そしたら、「もう帰ってき」(標準語で「帰っておいで」の意)って言われて。そしたらやっぱり、帰れないんですよね。東京まで送りだしてもらったっていうのがあるから、「いや。やっぱり大丈夫」ってね。事務所の前にあった公衆電話から、かけてましたよ。

――有名な“涙の電話ボックス”ですね(笑)。

山崎 そう! あの涙の電話ね(笑)。あの電話ボックスはすべてを知っていると言っても、過言ではないですよね。故郷の家族とのやり取り、恋愛なんかも、全部知ってたでしょうね。おしゃべりじゃない、公衆電話(笑)。

デビューから3年後…父を亡くした日

――全女の道場や事務所は解体されましたが、電話ボックスだけはいまも残っていますよ。お父さまですが、デビュー3年後にお亡くなりになったんですよね。

山崎 そうでしたね。あのとき、私は大阪にいたんですね。府立(大阪府立体育会館第1競技場/現、エディオンアリーナ大阪)で試合があって、次の日の出発前に、1個上の先輩から、「五紀、(松永高司)社長が探してたよ。早くホテルに戻んな」って言われて、(宿泊先の)ホテル南海に戻った。そのときは、「亡くなった」という報告で、次の日はたしか岡山で試合があったのかな。ハイウェイで姫路を通過するから、高速からいったん降りてもらって、1人で島に帰りました。

――お父さまは、闘病されていたんですか。

山崎 最終的には肝硬変で亡くなりましたけど、私が中学生のときに、低血糖で発作を起こすようになってたんですね。全女に入ってからは年に一度は帰ってて、姫路近辺に行けば、会いに来てくれてましたけどね。姫路市厚生会館で試合があったときにテレビ撮りで、お父さんが映ってるフィルムが、いまでも残ってるんですよ。

――お父さまは、五紀さんが全日本シングル王者になる1カ月前に、天国に旅立たれました。当時、私が驚いたのは、その年の冬にお母さまも亡くなられたこと、でした。〈つづく〉

(撮影=三宅史郎)

#2に続く
「18歳で両親を亡くした」全女・元人気レスラーの“壮絶な半生”…「JBエンジェルス」で活躍した山崎五紀59歳が“アメリカで交際0日婚”した話
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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