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アルコール依存症の父、血を流した母…「やめて帰ったら、親がバカにされる」全女で活躍した元女子プロレスラー・山崎五紀(59歳)の“壮絶な幼少期”
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by東京スポーツ新聞社/Shiro Miyake
posted2025/12/30 11:06
立野記代との「JBエンジェルス」でも活躍した元全女プロレスラー・山崎五紀さんのインタビュー(第1回)
「手を上げることは、子どもにはないんですけど…」
――その記憶はあるんですか。
山崎 酔っぱらって帰ってくるから、きょうだいで隠れたり。酔っぱらうと、いろんなパターンがあるじゃないですか。泣く人もいれば、暴れる人もいる。うちは、酒乱ですよね。グチグチ説教をこいたり、「家が汚い!」ってずっと文句を言ったり。手を上げることは、子どもにはないんですけど、いまでもはっきり覚えてるのが、玄関に自転車が置かれてたんですね。立てないで、いわゆる乗りっぱなしの状態で、寝かせてあって。酔ったお父さんがお母さんを押して、自転車のペダルがお母さんの顔に当たって、頬から血を流してっていう。それは、すっごい覚えてるんです。だから、お酒を飲むような人とは絶対に結婚しないって、そう思ってました。
――どうしてこんな家庭に生まれてしまったんだろうと、悲観したり……。
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山崎 ありました。生活保護を受けてたし。
――生活保護を受けていることを、子どもがなぜ知っていたんですか。
山崎 小学生のときに予防注射を受けるとき、ほかの子と紙の色が違ったんです。ペーパーワーク、接種するときの紙が。それが嫌で、うしろに隠してた思い出があります。見られたくなかったんですね。バレたくないというか。
――家を出るために、自立心が芽生えたのも早かったのではないかと。
山崎 もう小学6年生のときには、私はここにいる人間じゃない、もっと広いところに行きたいって思ってましたね。(隣の)大阪ぐらいだと、なんかあったら呼び戻されるじゃないですか。でも、当時は東京っていうと一目置かれてたし、ましてやうちは島だから、「(東京に行ったら)殺されないようにね」なんて、極端だけどそう言われる時代だったから、ちっちゃいときからもう、島を出たかった。空を見上げて飛行機が飛んでると、「乗せてー!」って大声でわめいたりしてましたよ。
ドリフのテレビで出会った“女子プロレス”
――ここではないどこかへ連れていってくれ、と。
山崎 そう、そう。東京へ行って、なにをしたいっていうのはないんですけどね、ただ漠然と。そんなときに、ドリフ(ザ・ドリフターズ)のテレビ(TBS系「8時だョ!全員集合」)で女子プロの人たちが出ていて、ミミ(萩原)さん、ジャガー(横田)さんたちがコントっぽいことをやってたんですね。お父さんは相撲とかプロレスが好きだったけど、観るのはやっぱり男子プロレスで、テレビのチャンネル権もお父さんだったけど、いないときに偶然、女子プロを観たのかな。足を引っぱってバタンと倒れるとか、そんなコントっぽかったから、「これだったらできるわ!」って思っちゃった。
――それが、中学生のときですか。
山崎 そうです。そんなときに、うちの島で獅子舞が出るお祭りがあって、マッハ(文朱)さんが来られたんですよ、全女を引退されたあとに。マッハさんが乗る船を操縦していた人が、お姉ちゃんの友達で。その友達が、マッハさんから全女の連絡先を聞いてくれて、履歴書を書いて出して、オーディションに行ったんですね。お母さんはお父さんのことがあって行けないから、お姉ちゃんについてきてもらって。それで、(オーディション会場の)フジテレビの近くにあった喫茶店で会った子が、記代だったの。2人だけ、制服で。

