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“野人”中西学に起きた異変「脂肪がなくなり…」新日本プロレスの“格闘技路線”で運命が変わったウラ事情「オメーはそれでいいや」伝説の猪木問答―2025年下半期読まれた記事
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堀江ガンツGantz Horie
photograph byL)AFLO、R)Keiji Ishikawa
posted2025/12/30 11:01
“野人”として人気を集め、2020年に現役を引退した中西学さん
「誰かがやらなきゃ…上の人も大変やったと思う」
結局、ヒクソン・グレイシー戦は正式に発表されぬまま流れたが、その後も中西はオリンピック出場の実績と、120kgという恵まれたヘビー級の肉体を見込まれ、本人の希望とは関係なく外敵との勝負の世界にたびたび駆り出されるようになる。
――ヒクソン戦は結局実現しませんでしたけど、その後、99年1月4日の東京ドームで、小川直也選手が橋本真也選手をボコボコにKOする“1・4事変”が起こったじゃないですか。あれで橋本選手が3連敗したあと、今度は中西さんがvs小川要因に駆り出されましたよね。
中西 まあ、小川選手とはタッグでやっただけでシングルマッチは実現しなかったんですけど、やったらおもしろかったかもしれないですね。
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――1・4ドームの小川vs橋本の時も試合後、中西さんは相当キレてましたよね。
中西 なんか知らんけど、真っ先に乱闘に加わってましたね。バコーンと殴って。まあ、あまり物事を考えずに行動するタイプなんで(笑)。
――あの1・4ドームの小川vs橋本があった1999年の「G1クライマックス」で、中西さんは武藤さんを破って優勝します。中西さんとしては、これを機に武藤さんと同じようにプロレスを極めたい、プロレスでトップになりたいという思いがあったにもかかわらず、小川戦や総合格闘技の試合に出ていかなければならない状況になっていったわけですよね。
中西 まあ、新日本の上層部もそれ(総合格闘技の波)に対処しなければいけないと思ったんやろうし、誰かがやらなきゃいけなかったんでしょう。それが僕や永田選手やったということでね。僕らも大変でしたけど、上の人たちも大変やったと思いますよ。
「オメーはそれでいいや」伝説の猪木問答
当時オーナーだったアントニオ猪木の意向もあり、2000年代前半の新日本プロレスは格闘技路線へと進んでいったが、02年1月、それに反発した武藤敬司が、小島聡、ケンドー・カシン、さらに新日本のフロント社員5人を引き連れて退団。全日本へと移籍する大事件が起こった。
これを受けて新日本の2・1札幌大会で、猪木が主力若手選手をリングに上げて、ひとりひとり「オメー、怒ってるか!」と問う通称「猪木問答」が行われた。ここで中西は、猪木に「オメーは怒ってるか!」と聞かれ、「怒ってますよ!」と目を見開いて答える。続けて「誰にだ?」と聞かれると、「全日に行った武藤です!」と力強く答えたが、猪木に「オメーはそれでいいや」と軽くあしらわれたことで緊迫した会場に笑いが起こり、それが今も伝説となっている。
――新日本が格闘技路線を進める中、02年1月に武藤さんたちが新日本を退団したじゃないですか。その直後、札幌大会でいわゆる「猪木問答」があったわけですけど、あの時、中西さんはどんな思いだったんですか?
中西 あの時はなんも考えてなかったですね。
――何も考えずに答えちゃったんですか(笑)。
中西 あんな急に聞かれると思ってなかったんでね。ほかに言うことがなかったんで、それはしゃあないですよ(笑)。
――武藤さんへの怒りはなかった?
中西 怒りというか、武藤さんたちが辞めた直後にああいうことがあったんで言ったんでしょうね。あんま考えてなかったです(笑)。

