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「これからはお前がやるんだぞ」“セッター”が背負う特別な重圧…男子バレー低迷期を知る、深津英臣が“35歳”になった今も日本代表を目指す理由―2025年下半期読まれた記事 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byYuko Tanaka

posted2025/12/29 11:01

「これからはお前がやるんだぞ」“セッター”が背負う特別な重圧…男子バレー低迷期を知る、深津英臣が“35歳”になった今も日本代表を目指す理由―2025年下半期読まれた記事<Number Web> photograph by Yuko Tanaka

4年ぶりに日本代表に復帰し、今季は若手に混ざってBチームでプレーした深津英臣(35歳)。コーチには長く一緒に戦った清水邦広、永野健が務めた

 三兄弟の三男坊。バレーボール一家で育った深津はパリ五輪に出場した長兄・旭弘、現在も日本代表コーチを務める次男・貴之と同じ星城高、東海大とキャリアを歩んできた。学生時代からセッターとして活躍し、日本一も経験。卒業後に進んだパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)でもレギュラーとしてリーグや天皇杯を制覇した。華やかな戦績を誇る深津が日本代表に初選出されたのは当時22歳、2013年のことだった。

 時代は男子バレーの長期強化が始まった過渡期。6年後の東京五輪に向けて大学生の柳田将洋や18歳の石川祐希ら新星たちが次々と招集され、世代交代を推し進めていた。

「石川や柳田と同じ頃です。あいつらは“NEXT4”なのに、僕だけ違うんですよ(笑)」

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 日本代表は幼い頃から憧れ続けた夢の場所でもあったが、当時は素直に喜ぶことができなかった。

「俺が日本代表になっちゃって大丈夫なの?という不安しかなかった。当時は僕が見ていてもかわいそうになるぐらい負けていた日本代表だったので、そこで自分が何をできるのか。嬉しさよりも不安のほうが圧倒的に勝っていました」

“重圧”に押しつぶされたリオ五輪予選

 不安な言葉は裏腹に、翌2015年ワールドカップでは出場機会を与えられた。自身でも理想に近いプレーが披露できた手応えを感じ、明るい未来が微かに見え始めた。しかし、リオ五輪出場をかけた世界最終予選では、まだ見ぬ大舞台のプレッシャーに押しつぶされた。

「アタッカーにはそれぞれ好みのトスがあるから、そこに合わせていくのは当たり前。速さなのか、高さなのか、そういう迷いはありましたけど、問題はトスの部分よりも、あの場所でプレーし続けるだけのメンタル。一つひとつのプレーに対して『あーダメだ』とか考えなくていいことを考えすぎて、勝手に硬くなって。今思えば、自分がいいから勝てるほど簡単な場所ではないけれど、自分のせいで負けるわけでもない。もっと精神的に余裕を持って、安定したプレーができればよかったんですけど。僕には無理だった。完全に潰れました」

「日本代表として目指す五輪はこれが最後」とすべてをかけて臨んだ永野や米山裕太らとは違い、まだ国を背負って戦う覚悟はなかった。深津はそう振り返る。

「永野さんとはパナソニックでも一緒だったので『試合出てるんでしょ。覚悟もってやってんのか?』って、よく言われました。でもその通りですよね。当時の永野さんはめちゃくちゃ怖かった。それぐらいオリンピックというものがどれだけ大変なのか、一度OQT(リオ五輪世界最終予選)を経験してわかっていた。だから永野さんが代表を離れて、『これからはお前がやるんだぞ』と言われた時、何が何でもやってやるという気持ちでいました」

 当時26歳の深津は目を真っ赤にして、セッターとしての責任を痛感した。

【次ページ】 残酷な通達「キャプテンを柳田にしようと思う」

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