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「トレードかな?」予想がまさか…戦力外通告、西武“イケメン最多勝エース”渡辺久信が明かす32歳の進路決断「球団と揉めるのもカッコ悪い」
posted2025/12/16 11:00
1997年、西武から戦力外通告を受けた渡辺久信
text by

渡辺久信Hisanobu Watanabe
photograph by
Sankei Shimbun
選手、コーチ、監督、フロントとして西武ライオンズの栄光と苦悩を20年にわたり経験してきた渡辺久信。西武から戦力外通告を受けた1997年オフ、ヤクルト移籍のウラ側とは。その野球人生を綴った書籍『獅子回顧録』(カンゼン)から一部抜粋して紹介する。〈全2回の1回目/第2回へ〉
1997年11月下旬、西武から「来季の契約はしない」と告げられた。その前年にノーヒットノーランを達成したが、全体的な成績は落ち気味で、97年はプロ入り初の0勝に終わっていた。トンビさんからは、「ストレートに力があるうちにピッチングの組み立てを変えろ」と言われていたが、モデルチェンジがなかなかうまくいかず、結果的に自由契約となった。
32歳で戦力外…マスコミ転身か、他球団移籍か
じつは、最初に球団事務所に呼ばれたときは「トレードかな?」と思っていた。なぜなら当時、「トレード志願選手」というリストを選手会からNPBに提出していて、私は前年からそこに載せてもらっていたのだ。西武が若手に切り替えようとしているタイミングで、登板の機会が減ってきているのは自分自身が一番わかっていた。環境を変えることで、新たな道を切り拓いていきたいと思っていたのだ。
球団からの通告を受けたとき、「ここでユニホームを脱ぐのであれば、解説者などマスコミの仕事を紹介します」とありがたい話をいただいた。ただ、このときはまだ32歳。自分としては現役への強い気持ちがあり、このまま終わるわけにはいなかった。球団と揉めるのもカッコ悪いので、「14年間お世話になりました。次の場所は自分で探します」とはっきりと伝えた。

