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「悔しさを絶対に忘れてはいけない」前回落選の雪辱を果たすべく、改革を断行した東海大学が過ごした1年と箱根駅伝への戦略

posted2025/12/15 10:01

 
「悔しさを絶対に忘れてはいけない」前回落選の雪辱を果たすべく、改革を断行した東海大学が過ごした1年と箱根駅伝への戦略<Number Web> photograph by Tadashi Hosoda

全日本大学駅伝での永本脩。両角速監督は「次世代のエース」と期待をかける

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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Tadashi Hosoda

 1年と少し前、東海大学は辛酸を嘗め、泥にまみれた。

 2024年10月に行われた第101回箱根駅伝予選会で、東海大はトップ通過の最右翼と目されていた。出場する10人の10000m平均タイムは参加43校中2位。同年6月の全日本大学駅伝選考会を1位通過しており、上位通過は堅く、トップ通過も狙える編成だった。だが、兵藤ジュダ、竹割真、鈴木天智(全員当時3年)ら主力がエントリーから外れた上に、異常な暑さの影響でロホマン・シュモン(当時3年)が熱中症を発症し、フィニッシュを目前に途中棄権。東海大は総合14位となり、12年連続52回目の出場を逃した。

 この時、花岡寿哉(当時3年)は、厳しい表情でこう言った。

「起こってしまったことは仕方がないです。これはロホマンだけの責任ではなく、ここに(調子を)揃えて来られなかったチーム全体の責任だと思うんです。この大学にいれば4年間、箱根駅伝に出られると思っていた。そこに対する自分たちの甘さがどこかしらにあった。一からチームをつくり直したいと思います」

 その想いを紡ぐように今シーズン、花岡はチームの主将になった。

「箱根駅伝に出られなかった悔しさを絶対に忘れてはいけない」

 花岡はそれを胸に秘め、チーム改革を断行していった。

 前回の箱根駅伝予選会前に故障者や体調不良の選手が多く出た反省から、練習後はもちろん普段からケアを徹底した。その意識が浸透していくと、故障などで抜ける選手が少なくなり、継続した練習が積めるようになった。その結果、全体のレベルが少しずつ押し上げられ、5月の全日本大学駅伝の選考会前は「誰が走っても選考会は行けるぞという雰囲気を感じていた」とチームにかなりの手応えを感じられるようになった。その選考会を5位で通過すると、さらに10月の箱根駅伝予選会でも5位となって本選への出場権を獲得。東海大は表舞台に戻って来た。

全日本大学駅伝で得た課題と収穫

 11月の全日本大学駅伝では万全のコンディションではなかった兵藤ジュダが17位と出遅れたが、永本脩(3年)らが好走し、一時は9位にまで順位を上げてシード獲得まであとひとつというところまで迫った。だが、最終的に12位に終わり、復活の狼煙を上げるには至らなかった。

 西出仁明コーチは「厳しいレースになりました」と硬い表情で言った。

「10位以内を目指していましたが、駅伝に初めて出た5区の松山(優太・1年)、6区の平井(璃空・2年)がうまく機能しませんでした。その区間で上位に来れば、もっといいペースで行けたと思います。ただ、彼らは4年生が抜けた後の主力になる選手なので、いい経験が出来たと思いますし、それを箱根駅伝で活かしてほしいなと思います」

 松山は5区11位、平井は6区16位で初の駅伝の洗礼を受けたが、西出コーチのいう通り経験という面では、今後に繋がるデビュー戦だった。

 一方、収穫といえるのは永本の覚醒だろう。

 吉居駿恭(中央大学4年)や小池莉希(創価大学3年)ら各大学の主力が集う2区を駆け、区間6位と健闘した。今季は全日本大学駅伝選考会の10000mで28分44秒15の自己ベストを更新し、選考会通過に貢献。ハーフマラソンのタイムも箱根駅伝予選会で62分23秒の自己ベストをマークしている。

 両角速監督は永本を「次世代のエース」と言う。

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