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プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
「オーディションを間違えてプロレスラーに」“スターダムの新空手ガール”さくらあやが語る“芸能界での苦悩”「仕事は3年間で3回…軽い洗脳ですね」
text by

原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2025/09/26 17:04
スターダムで活躍するさくらあや。アクション俳優を目指していた彼女が、プロレスの道に進んだ理由とは
「変な芸能事務所に入って…仕事は3年間で3回」
さくらは短大を出ると大阪の芸能事務所に入った。
「変な芸能事務所に入ってしまった。そこが運営しているカフェバーで働くことになりました。『いつでもオーディションや芸能の仕事を優先していいから』という言葉を信じて。バカで無知だったから『すごーい!』って」
だが、芸能の仕事はほとんど来なかった。
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「お仕事をしたのは3年間で3回? かな。さすがにおかしいと思って事務所に聞きました。カフェの仕事は週6で17時から午前2時まで、土日はランチもやっていたので朝の10時から夜の2時まで働きました。入ってすぐに先輩が皆辞めちゃって、自分でシフト作って、面接して、在庫を見て発注して、売上を10倍くらい伸ばした。事務所には『コイツに任しておけばいい』って思われたんでしょうね。22歳の時におかしいなと気づいて『オーディションちゃんと送ってます? 証拠見せてください』って聞いたら、事務所からはいろんな映画とか舞台のリストを見せられて、全部落ちたって言われました。『オマエみたいなビジュアルが悪いのを拾ってくれるところはない、うちぐらい』と3年間ずっと言われていて。軽い洗脳ですね。ここにいても仕方ないなって。辞める時も顔が悪いって、さんざん言われました。今でも自分の外見についてはすごく敏感です」
カフェバーを辞めたさくらは小劇場のオーディションを受けて合格した。さらに講談社のコンテスト『ミスiD2020』で賞をもらった。それはさくらの自信になった。
「『アクションに向いているんじゃない?』って言われたんですが、アクションの舞台では空手ができても、癖のない動きを求められるから。来年度の仕事が何も決まらなかったら、ジャパンアクションエンタープライズ(JAE)の養成所に行こうって」
こうして、さくらは「正式な上京」を果たした。JAEの養成所にはスーツアクターやスタントマンを志す者が集まっていた。
「あの1年間は楽しかった。ただ、私は身体能力が特別いいわけじゃない。前期、後期で点数が張り出される。評定が基準以下で後期に進めない人もいた。私はちょうど真ん中くらい。アクロバットも、殺陣も覚えるの遅いし、ダンスもうまいわけじゃない。同期の中でもトップじゃないのに、事務所に入ったら先輩方もいるから、そこで競ったうえで選んでもらわないといけない。ああ、無理かもなあって。挫折ではないけれど、現実的に考えてここで戦っていくのは厳しいなと」
さくらは決断する。
「簡単に言うと、事務所には俳優部とアクション部があって、役付きの仕事が来る俳優部に受かったら事務所に入ろうって。でもアクション部だったら入らないと決めていました。結果はアクション部だったので入らなかった」
そしてJAEを離れた。


