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プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
「オーディションを間違えてプロレスラーに」“スターダムの新空手ガール”さくらあやが語る“芸能界での苦悩”「仕事は3年間で3回…軽い洗脳ですね」
text by

原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2025/09/26 17:04
スターダムで活躍するさくらあや。アクション俳優を目指していた彼女が、プロレスの道に進んだ理由とは
演劇に魅了され…地下アイドルも経験「交通費は自腹」
やがて進路を決める頃になった。「工業高校だから」と当初は就職を考えていたという。
「鉄道会社かっこいいなって思ったんですが、評定が足りなかった。進学なら専門学校か、短大か。親に『短大の方が学歴になるから、短大にしたら』と言われて、伊丹市にある大阪芸術大学短期大学部に入りました」
さくらはそこで演劇を専攻することになった。
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「あまりやりたいことがなかった。アイドルが好きでアイドルになりたかったけれど、高校では部活が週6、7あってオーディションも受けられないから、そういう夢は高校3年間でどっかに行っちゃいました。関西には小劇場文化があって、“関西小劇場”っていうブランドがある。当時、私は大衆演劇にはまっていた。YouTubeでめっちゃ刀を回している人がいて、こんなの出来たら格好いいなあと思いました。神戸の新開地に大衆演劇の劇場があって通っていました。1カ月ごとに一座が替わるんです」
演劇との出会いはさくらを変えていく。
「『高校の先輩が大阪の小劇団に入っているから行ってみたら』と担任の先生に言われて見に行きました。『そとばこまち』という劇団。初めての小劇場。おもしろい。それから演劇ワークショップに通って、最後にはお客さんを入れてやるんです。80人キャパで結構入っていたと思います。何回公演したんだろう。楽しくて! テレビが身近にあるから、一回は俳優っていいなって思いますよね。他人の人生を演じてみたい。でも、みんなある程度は現実を見ていて、やっぱり生活とかあるから、実際にやろうという人は少ないじゃないですか。私は若かったしまだ現実を知らなかったから、やってみたいなあ、と思って」
大学に入ってすぐ、さくらは東京で舞台のオーディションを受けて合格した。
「1年生の夏休みに東京でウィークリーマンションを借りて1、2カ月一人暮らし。後期からちゃんと学校に行って。短大行きながら、東京で地下アイドルもやりました。地下アイドルって交通費自腹なんです。もう夜行バスしか選択肢がなくて、図書館で寝ていました。4日連続で夜行バスのときもありました。2年生の夏休みも東京に出てきて。私はマルチタスク向きじゃないのに、いくつも台本持って……」
さくらは当時を思い出すように語り続けた。
「今思うと、大学で演劇を学ぶのは、演劇一筋の人にはいいかもしれませんが、アイドルや他のこともやってみたかった私には、20歳って遅過ぎるんです。最近、奨学金を返し終えたんです。まとめて。その額があの日々に釣り合っていたのかって考えてしまう。パッと東京に出てきた方がよかったのかも。若い方が、チャンスがあるから」

