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プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
「オーディションを間違えてプロレスラーに」“スターダムの新空手ガール”さくらあやが語る“芸能界での苦悩”「仕事は3年間で3回…軽い洗脳ですね」
posted2025/09/26 17:04
スターダムで活躍するさくらあや。アクション俳優を目指していた彼女が、プロレスの道に進んだ理由とは
text by

原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「空手に行くのが嫌で、逃げ回っていました」
スターダムで活躍し、「新空手ガール」「ハイキックエンジェル」の異名を持つさくらあやは、子供の頃から語り始めた。
「けっこう引っ込み思案だったかな。5歳、保育園の年長さんの時、突然、空手道場に入れられて。私はダンスをやりたいって言っていたんですが、送り迎えが大変だからと、兄がやっていた空手に行くことになりました。空手の練習が当時は土日だったから、土曜日は保育園の途中で帰らなくちゃいけない。空手に行くのが嫌で保育園中、逃げ回っていました。帰るときに保育園の先生が『頑張れるように』とおやつの時間のお菓子を渡してくれました」
食べ物の好き嫌いはない子供だった。ただ、当時は食べられないものがあったという。
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「小3くらいまでチョコレート・アトピーだったんです。保育園でディズニーのチョコをもらって食べたら吐いちゃって、それからチョコレート禁止に。小学校の時のクッキングでもバレンタインの時は、私だけ先生がホワイトチョコを用意してくれていました。チョコレートは高学年から大丈夫になりました。反動なのかな。それからチョコレートが大好きになりました。あと、保育園の方針だったと思うんですが、ブドウを皮ごと食べていたんです。初めて皮を捨てて食べている人を見た時は衝撃でした。これって皮ごと食べるものじゃないんだって(笑)」
空手を学んだのは警察の道場だった。
「警察官がいっぱいいて、神棚があってなんか怖かった。まだ、ギリギリ体罰OKの頃だったので ちょっと上の子が殴られたり、怒鳴られたりしていた。私は怖くて泣いちゃいました。自分の意思を言える子じゃなかったと思います」
最初は怖いと感じた空手だったが、高校卒業まで13年続けた。大会でも好成績を残している。
「高校受験の時期に少し行かなくなりましたが、5歳から18歳までちゃんとやっていました。中学生までは結構強かった。兵庫県大会3位。神戸市では優勝。糸東流の全国大会で2位。毎日練習があったから練習量で勝っていたんだと思います。でも工業高校の空手部には女子部員がいなくて、リーチも体格も違う男子との練習。先輩は優しいので私に合わせてくれたんですが、同級生には全部こかされました。戸締りや掃除を押し付けられたり、仲良くなれなかった。連絡先も知りませんでした。連絡先を知らないので自分だけ連絡網が回ってこないことも何度かありました。同級生の男子は本当に苦手だった。それで辞めそうになったけれど、3年間頑張りました」


