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「松井秀喜さんと比べたら、まだまだなのかなと」阪神・佐藤輝明は今季なぜ覚醒したのか? コーチ藤本敦士の証言「見たこともない逸材かと聞かれると…」
posted2025/09/27 11:04
今季は39本塁打で初のホームラン王に向けて独走する阪神の佐藤輝明(9月26日現在)。その覚醒の理由とは
text by

金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph by
Hideki Sugiyama
発売中のNumber1127号に掲載の[覚醒の軌跡を辿る]佐藤輝明「比類なき頂への道」より内容を一部抜粋してお届けします。
「松井さんと比べたら、当時の輝明は…」
初めてのバッティング練習を見て、藤本敦士は笑いが込み上げてきたという。
「ぼくはバッティングコーチじゃなかったんで、あのときの彼がどんなことをやっていたかはわからないんですけど、ボールを遠くに運ぶっていう天性は物凄く感じましたね。なんであんな軽く打って、あそこまで飛ぶんやって。その理屈がぼくにはわかりませんでした(笑)」
なにしろ、ドラフトで4球団が競合した大物ルーキーである。もとより、ただ者であるはずもない。それでも、プロ入り1年目の佐藤輝明は、阪神、ヤクルトで13年間の現役生活を送り、コーチとしても7年目を迎えようとしていた藤本の舌を巻かせた。
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ただ、度肝を抜く、というほどではなかった。
「身体はできてる。パワーもある。ただ、見たこともないような逸材だったかと聞かれると、う~ん、そこまでではなかったかな。あくまでぼくの感想ですけど、まだプロとしての体力面みたいなのは全然ないな、と。プロで143試合戦える体力はない。ぼくみたいな小さいのと違って、大きな身体を動かすには大きな出力がいる。そういうのは、まだないなと。それはすごい感じました」
プロとしての一歩目を踏み出したばかりの選手に対する評価、印象としては、いささか厳しすぎるかもしれない。とはいえ、藤本には藤本なりの、スラッガーに対する見方が厳しくなってしまう理由があった。
「ぼくら、松井秀喜さん見てますから。ぼくの印象に残ってる松井さんと比べたら、当時の輝明はまだまだなのかな、と」
松井秀喜を知る選手たちの証言
後に“赤ゴジラ”と呼ばれることになる少年が本家本元と対面したのは、中学校3年生の時だった。
「秋の神宮大会を観に行って、選手たちが出てくるのを出待ちしてたんです。神宮第二球場だったかな、試合を終えて出てきた星稜高校2年生の松井秀喜さんに握手してもらいました」
それは、嶋重宣の人生を変えることになる握手となった。
「握った瞬間、うっわぁぁぁって感じです。カッチカチなんてもんじゃない、マメの硬さが、もう全然普通じゃないんです」
翌年の夏には、伝説の“5打席連続敬遠”で全国に名を馳せることとなる、しかし高校球界ではすでに伝説的な存在となりつつあったスラッガーの手は、それなりに野球に打ち込んできたとの自負があった中学生の常識を、先入観を強烈に叩き潰した。
「高校ナンバーワンって言われてる人がこれだけのマメを作っているのに、俺なにしてんねんって思いました。もう野球観てる場合じゃない、すぐ家に帰って素振りしたの覚えてます」
進学した東北高校では甲子園にも3度出場し、豪腕豪打の二刀流として鳴らした嶋だったが、ドラフト2位で広島入団後、プロの世界に名を轟かせるまでには10年の歳月を必要とした。それだけに、'04年、突如として猛威を振るうようになった彼の覚醒は、“赤ゴジラ”という愛称がその年の流行語大賞にノミネートされるほどのインパクトをもたらした。


