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クイズ史に残る『高校生クイズ』神回ウラ話…エースは「全国模試1位の天才」“クイズの帝王”伊沢拓司の開成が恐れた北海道「ナゾの公立校」の正体
posted2025/09/09 17:01
現在クイズ王として人気の伊沢拓司が『高校生クイズ』初優勝を果たしたのが2010年。その際、最も恐れたのが塩越希(写真)擁する「北の公立校」だった
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Shiro Miyake
「これは、自分たちが知っている『高校生クイズ』ではない」
2008年の夏、北海道旭川東高校のクイズ研究会に所属していた塩越希と重綱孝祐は、テレビ画面に映し出される『高校生クイズ』全国大会の様子に戸惑いを隠せなかった。
出題されるのは彼らが普段の部活動では聞いたこともないような超難問ばかり。それを同じ高校生が問題文も読み終わらぬうちに答えていく光景に、2人は衝撃を受けた。
北の公立校から「知力の甲子園」へ挑んだ若者たち
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クイズ研究会への入部は偶然だった。
高校に入学して3カ月、当初は軽音部に入っていた重綱は、クラスメイトに誘われるままクイ研の部室を訪れた。そこで彼が出会ったのは、「神童」と呼ばれる塩越希だった。
「行ったらビックリしたんです。『"あの"塩越希がいるじゃん!』って」
進学校として知られる旭川東高校の中でも、飛び抜けた学力を持つ塩越は、後に大手予備校の模試で全国1位を獲得する逸材だった。当初は「鼻持ちならない」印象を抱いていた重綱だが、実際に話してみると意気投合。2人は「自分たちも1回くらいは全国大会に出られたらいいね」と語り合うようになる。
しかし、2008年の『高校生クイズ』は従来のバラエティ色の強いものから「知力の甲子園」と呼ばれる難問路線に大きく変化していた。一方で、この突然の路線変更は、むしろ2人のモチベーションに火をつけた。
「もうシンプルに『どうやってこんな問題に答えられるの?』と。その方法を考えるだけで、『なんて面白いんだ』と思うようになって」と塩越は振り返る。
だが、ここで問題が生じた。「クイズって、どうやったら強くなるの?」という根本的な疑問だ。日本の極北の地では、競技クイズのノウハウを知る人が全くいない。2人は手探りの状態から、自分たちなりの強化策を模索していく。
こうして少しずつ力をつけた旭川東高校クイズ研究会は、競技クイズの世界で存在感を示し始める。北の公立校から全国の舞台へ——その挑戦の行方はどうなったのか。その詳細は、本編で詳しく描かれている。
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
