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「兄は野球部長、弟もセンバツV」沖縄尚学の“3兄弟”ロッテ・伊志嶺翔大コーチが振り返る「優しい兄貴分」比嘉公也監督の“一期生”だったあの夏
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梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/25 17:01
沖縄尚学の野球部長を務める伊志嶺大吾さん(左)はロッテ・伊志嶺コーチの実兄にあたる
比嘉監督就任の「一期生」
伊志嶺コーチは高校時代から「打撃は水物。野球は守りから」と教えられ、徹底的に守備練習に時間を割いてきた。ノックだけで2時間、3時間は普通と言う練習メニューだった。「ひたすらノックをしていた。それが当たり前。最初は外野と内野に分かれてノック。その後、連携プレーに入ってという感じ」
日が暮れるまで徹底的に白球を追いかけた。それが一番の思い出だ。今のような野球部専用グラウンドは当時まだなく、校庭の土のグラウンドで附属中学校と併用で利用。週に2回は中学野球部に貸し出すため、校外のグラウンドを借りての練習もあった。
今回、優勝に導いた比嘉公也監督は伊志嶺コーチが高校3年だった時にコーチから監督に就任している。だから同監督の指導の下でプレーした一期生でもある。「監督としては本当にちょっとだけではありますけど、それまでコーチということもあり、年が近いこともあって、すごく距離が近い監督で優しい印象。兄貴分だった」と振り返る。
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しかし、伊志嶺コーチの最後の夏は、県大会ベスト4で中部商業に敗れた。甲子園に出場したのは同じマリーンズOBの大嶺祐太投手擁する八重山商工。その悔しさはずっと心のどこかに残っていたが、後輩たちがその想いを見事に払拭してくれた。
陸上界の注目も集めた伊志嶺翔大
「物心ついた時には兄が野球をやっていたので、その流れになった」と高校まで兄と同じ道を歩んだ。ただ、中学時代まで伊志嶺翔大の名は野球だけではなく陸上の世界でも知られていた。父が高校教諭で陸上を教えていたこともあり、野球の合間に陸上大会にも参加していた。
ちなみに母は小学校の教諭でバレーボールをしていた。
「野球をやりながら陸上の大会にも出ていた。駆り出されていたという感じ」
小学校の時は地元・宮古島の大会で4年生100mの大会記録を作ったこともある。中学2年の時に幅跳びや100mなどで県大会に出場。中学3年の時は200mで出場した経験を持つ。
「中学校の時、100mは11秒3くらいだったかな。200mが23秒ちょっと。幅跳びは中学校2年で6m後半くらいだったかな。もう古い話なので忘れましたけど」と伊志嶺コーチは少し恥ずかしそうに振り返った。


