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PL学園“最強世代”はいつなのか…清原和博の答えは? “KKの背中”を追いかけて…後輩たちを一つにした「同級生の死」と「奇跡の試合」秘話
text by

城島充Mitsuru Jojima
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/21 11:06
1987年夏の甲子園で優勝し、優勝旗を受け取るPL学園の立浪和義主将。2年上のKK世代と並んで最強世代と言われるまで成長した理由はどこにあったのか
「この試合が、僕たちの大きな分岐点になった」と、4人は同じ追憶を口にした。
その試合が行なわれたのは1986年11月8日、舞台は奈良県立橿原球場だった。
PLナインが顔色を失ったのは、5回表だ。先発の野村が満塁のピンチで降板、リリーフした橋本も痛打を浴びて1対5と、大商大堺に4点のリードを許したのだ。
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立浪は大商大堺のベンチを見ながら、複雑な思いにかられていた。
「もし、大商大堺に入っていたら、今ごろどうなっていただろうって思いましたよ」
中学を卒業するとき、立浪は大商大堺に進むことがほぼ決まっていた。PLに心変わりしたのは「日本で一番強いチームで野球をしたい」という思いを捨てきれなかったからだ。
「いろんな人に迷惑をかけたから、どんなに苦しくてもPLをやめようとは一度も思わなかった。でも、このときは初めて弱気になりました。前の試合で完封されてる相手に4点差ですから……」
片岡も「ああ、ここで負けたら、俺はなんのためにPLに来たんやろ」、そんな思いを必死でかき消しながら、ファーストを守っていたという。
「こんな試合をしていたら、南が泣くぞ」
監督の中村が抑えていた感情を吐き出したのは、橋本が後続を断ち、選手たちがベンチに戻ってきたときだ。
「お前ら、今日は南の月命日だぞ。こんな試合をしていたら、南が泣くぞ。恥ずかしくないのか」
そこから、反撃が始まった。デッドボールや相手のエラーをきっかけにその裏の攻撃で2点、6回にも3点を奪って逆転。ロングリリーフになった橋本は、その後の大商大堺の攻撃をぴしゃりと抑え、さらに追加点をあげたPLは8対5で勝った。


