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「1年生の4番さえ抑えればいい」甲子園3連覇がかかった池田高校の“大きな誤算”…PL学園・清原和博を封じたエースが悔やんだ「打者・桑田真澄への油断」
posted2025/08/22 11:00
池田高校のエース・水野雄仁からホームランを放つPL学園1年生の桑田真澄
text by

城島充Mitsuru Jojima
photograph by
JIJI PRESS
甲子園最多13本のホームランを放った清原に次ぐ、歴代2位タイ6本塁打を記録しているのは桑田である。PL学園のエースとして強打者たちを斬ってきた右腕は、相手投手のプライドを一太刀で切り裂く力をも宿していた。《全2回/後編に続く》初出『Sports Graphic Number908・909・910号、桑田真澄「王者池田を撃った15歳」肩書などはすべて当時。
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「1年生の4番さえ、抑えればいいから」
1983年夏の甲子園大会準決勝。マウンドに立つ水野雄仁の脳裏にかろうじて刻まれていたのは、蔦文也監督からの短いアドバイスだった。'82年夏と'83年春を制し、史上初「夏春夏」3連覇を目指す池田を牽引してきたエースの記憶は、靄がかかったようにぼんやりとしている。
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3回戦の広島商戦で頭部にデッドボールを受けた影響か、前日に“事実上の決勝”と騒がれた中京との準々決勝を3-1で制した安堵からか、あるいは、1年生2人を4番とエースに起用するPL学園に対する油断が心のどこかにあったのかもしれない。
背番号「11」華奢な体の1年生
5万8000人の大観衆がどよめいたのは、2回裏のPL学園の攻撃だった。水野は2死塁から7番打者の小島一晃に右中間を破るツーベースを打たれ、先制点を許してしまう。続いて打席に入ったのは、背番号「11」をつけた華奢な体つきの1年生だった。
