- #1
- #2
All in the Next ChapterBACK NUMBER
「頭パニックで…ホテルの部屋で泣いた」糸井嘉男が初めて明かす“12年前の電撃トレード”真相…日ハム→オリックス「記事読んで、ほんまなんやと」
text by

田中大貴Daiki Tanaka
photograph byYuki Suenaga
posted2025/07/09 11:04

日本ハムからオリックスにトレードとなった2013年1月の出来事を振り返る糸井嘉男(43歳)
――それはファイターズでプレーし続けたかったから?
野手として見出してくれたのは日本ハムという球団でしたから(2004年に投手として入団、プロ3年目に打者転向)。僕のわがままで、ポスティングの話を出したのが悪いんですけど、その結果がトレードかと。海外でもなく、日本の球団に放出されたことが、親に捨てられたような気持ちで。育ての親にね。
――当時、すでに海を渡っていたダルビッシュ有投手も糸井さんのトレードにSNSで反応していました。
ADVERTISEMENT
Twitter(当時)で呟いてくれましたね。「糸井さんトレードありえん」と。あれは、嬉しかったですね。彼のことは18歳から見ていて、成長して、日本ではもう誰も相手にできないぐらいのピッチャーになってメジャーに行った。トレーニングもよく一緒にやっていましたから。
――「筋肉は嘘つかないよ」というダルビッシュ投手の一言でスイッチが入ってましたよね。
「糸井さん、僕が野手やったらもっと(トレーニングを)やってます」と言われて。めちゃめちゃスイッチ入りました、僕は単純ですから(笑)。交流戦の前にバッティング練習したとき、(ダルビッシュが)簡単に札幌ドームのスタンドに放り込んだんですよ。ぎこちないスイングでしたけど、やっぱコイツすごいなって。食事面も細かく節制してましたしね。(自分もメジャーに行きたいという気持ちになったのは彼の存在が大きかったです。
「ユニフォームを栗の樹ファームに飾ってください」
――栗山英樹監督には何か言われましたか?
鎌ケ谷でロッカーの整理をしていた時に栗山監督に会ったんですよ。二軍の施設(鎌ケ谷スタジアム)で自主トレをしていたので片付けに行った時、ちょうど首脳陣のキャンプ前の会議みたいなのがあって。会った瞬間、泣いちゃいましたね。
――どういう思いからこぼれた涙ですか?
1年間だけですけど栗山監督と一緒にやって、選手と距離が近い方でしたし、熱いハートを持った監督だったんで。優勝はできましたけど、1年で去るっていうことがすごく悲しかった。
――感謝の想いを伝えた、と。
形見じゃないですけど、自分のユニフォームを渡したんですよ。栗の樹ファームに飾ってください、と。糸井嘉男がいた証というか、「ありがとうございました」という思いで。それは鮮明に覚えてますね。
〈後編に続く〉

