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「やるなら今しかない」17歳の少年が戦火のウクライナから大相撲の力士を目指したワケ…安青錦が憧れた名勝負“貴乃花vs朝青龍”「いつか、あそこで」
posted2025/07/11 17:30

今年の三月場所、五月場所で連続敢闘賞の安青錦
text by

宝田将志Shoji Takarada
photograph by
Miki Fukano
発売中のNumber1123号に掲載の[ウクライナから角界へ]安青錦「海を越えた志」より内容を一部抜粋してお届けします。
「やるなら今しかない」
ウクライナ中部のビンニツァ市にはヨーロッパでも有数の大きく美しい噴水がある。このウクライナで最も住みやすいとされる街で、17歳のダニーロ・ヤブグシシンは自身の未来に思いを馳せていた。
2022年2月24日、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始。戦時下のウクライナでは18歳以上の男性は出国が原則認められない。ダニーロの18歳の誕生日は3月23日に迫っていた。
急いでドイツ・デュッセルドルフに住む両親のもとに身を寄せ、こう覚悟を決める。
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「やるなら今しかない。行かなかったら、亡くなる時、絶対に後悔する」
ウクライナの大学への進学が決まっていたが、スマートフォンを手に、かねて親交のあった山中新大さんに「日本に行けませんか?」とメッセージを送った。そして、受け入れの了承を得ると、すぐ荷物をまとめて極東の島国に飛んだ。幼い頃からの夢である大相撲の力士になるために。
ダニーロ、後の安青錦は運動神経に優れた少年だった。6歳から通い始めた地元の柔道クラブで、人生の転機は、ふいに訪れた。稽古が終わって帰ろうとすると、先輩たちが何かを始めたのだ。
「マットの土俵を敷いて、そこで相撲を取っていたんです。遊びみたいな感じですね。勝負が早くて、面白そうだな、やってみたいなと思いました」
相撲という日本発祥の競技があることは知っていたものの、実際に目にしたのはこれが初めて。ウクライナがアマチュア相撲の強豪国でなければ、このような機会はなかったかもしれない。7歳の頃には自分でも相撲を取るようになった。
ある日、一つの取組映像に目を奪われる
ほどなく、そのクラブは柔道からレスリングに事業を転換したため、安青錦はそのままレスリングを習った。相撲は大会が近づくと練習し、空いた時間には、インターネットで「SUMO」と検索して動画を見て回っていた。ある日、一つの取組映像に目を奪われる。
「勝ち負けは別にして全体的に格好良かった。2人のことは強いんだろうなと思ったけど、どのぐらいかは分からなかった」
それは'02年秋場所の横綱貴乃花対大関朝青龍戦。7場所連続休場明けの平成の大横綱が、成長著しいモンゴル出身の新大関を右上手投げで裏返した一番である。両者の気迫と両国国技館内の興奮が混然一体となった名勝負によって、「いつか、あそこで」と大相撲への憧れは強烈に刻まれた。
安青錦は15歳だった'19年、大阪府で開催された相撲の世界ジュニア選手権にウクライナ代表として出場し、中量級(100kg未満)で3位入賞を果たした。この時、会場で出会ったのが関西大学相撲部の部員だった山中さんだ。声を掛けられ、互いのインスタグラムをフォローし合うと、大会後も約8000kmの距離を隔ててメッセージのやり取りを続けた。
「『今場所は誰が優勝するか?』とか。自分はあまり大相撲のシステムが分からなかったので、序ノ口、序二段と、どうやって番付が上がるか聞いたり。ずっと大相撲に入りたかったんで」
レスリングでもウクライナの国内大会で優勝する程の実力を有していたが、描く未来像は五輪のメダリストではなかった。

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