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大の里の“先輩横綱”としてのプライド…豊昇龍が語る“一人横綱”の重圧「最初の場所は、固定観念に縛られて休場につながってしまった」
posted2025/07/12 17:01

一月場所で優勝を果たし、横綱に昇進した豊昇龍
text by

飯塚さきSaki Iizuka
photograph by
Kiichi Matsumoto / JMPA
発売中のNumber1123号に掲載の〈[先輩横綱が語る]豊昇龍「自分らしさは譲れない」〉より内容を一部抜粋してお届けします。
先輩横綱の意地の白星
満員御礼の両国国技館が、一瞬の静寂に包まれた。2025年五月場所、千秋楽結びの一番。綱取りに挑み、ここまで全勝ですでに優勝を決めた大関・大の里と、三月場所で先に横綱に昇進した豊昇龍との対戦だ。
立行司・木村庄之助の軍配が返り、立ち合い。頭で低く鋭く当たった豊昇龍を、大の里がもろ手突きで受け止める。弓なりになりながらも堪えた豊昇龍。すぐに右を差し、同時に左上手はがっちりと浅めに捉えた。右の下手を探りながら前に出る大の里。しかし、豊昇龍が驚異のスピードで回り込み、しっかりつかんだ左上手を土俵にたたきつけるようにして、大の里の巨体を転がした。横綱の意地を見せた豊昇龍。土つかずの大の里を倒し、全勝を阻んだ瞬間だった。
「ただいまの決まり手は、上手ひねり、上手ひねりで、豊昇龍の勝ち」――。
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新横綱・大の里の誕生に祝福ムードが漂うなか、先輩横綱の豊昇龍の意地の白星は、見る者の胸を打った。
豊昇龍智勝。1999年、モンゴル・ウランバートル生まれの26歳は、言わずと知れた元横綱の朝青龍を叔父にもつ、格闘技一家に生まれた。幼い頃から格闘技へのあこがれがあり、5歳から柔道、11歳からレスリングに取り組んだ。
レスリングで2020東京オリンピックを目指すため、高校から日本の柏日体高校(現・日本体育大学柏高校)へ進学。レスリング部へ入部したが、1年生のときに初めて国技館へ大相撲を見に行ったことで、人生が大きく動いた。
「横綱・日馬富士関の相撲を見て、衝撃を受けました。なんでこんなに小さいのに、大きい人に勝てるんだろう。日馬富士関の取組を見たから、相撲をやりたいと思いました」
叔父の影響で、幼少期から大相撲中継はよく見ていた。しかし、その迫力を目の当たりにしたことで、一気に相撲に魅せられた。1年生から相撲部に転部し、生活は一変。レスリングでは階級の枠にとどめなければならなかった細い体を、できる限り大きくするのに苦労しながら、稽古に打ち込んだ。
立浪親方「豊昇龍は、横綱になりに来た」
3年間、アマチュア相撲に取り組んだのちに角界入り。入門からわずか2年足らずの'19年十一月場所で新十両、翌年の九月場所で新入幕を果たし、あっという間に番付を駆け上がった。幕内力士で唯一、相撲の型がない力士とも言われたが、すなわちそれは「何でもできる」ということ。華麗で勢いのある投げ技や足技は、しなやかな体と屈強な足腰をもつ豊昇龍にしか繰り出せない。まさに「銭の取れる相撲」で魅了し、'23年七月場所でついに初優勝。大関昇進を決めた。