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「あの電話は何だったのだろう」長嶋茂雄、仰木彬、東尾修…野球監督“引き際”に透ける美学と葛藤《星野仙一が電話で長嶋に伝えたことは?》

2025/08/15
2度目の巨人監督時代の長嶋
盛者必衰の理のごとく、請われて就いた監督の座にも、訣別の時は訪れる。退任、解任、更迭、勇退……様々な言葉で語られる引き際のニュアンスは、勝負の世界に生きた男たちの終章を、時に容赦なく傷つける。今秋グラウンドを去る4人の指揮官たちは、自らの引き際をどう考えていたのだろうか。(原題:[ナンバーノンフィクション]男の引き際。長嶋、仰木、東尾、星野)

 9月30日、東京は雨が降っていた。

 2日前の退任会見の時、“今日の空のように爽やかな気分”と長嶋茂雄は言い切ったが、その夜は大粒の涙雨が降っていた。

 東京ドームに向うタクシーの運転手がしみじみと言った。

「オレが酒を憶えたのは16歳の時、長嶋さんのおかげなんだ。立大が優勝すると、池袋の商店街ではタダ酒をふるまってくれてよ。あれ以来、すっかり長嶋ファンよ。間違いじゃなかったネェ、手厚い別れをしてやってくれや」

 長嶋監督が本拠地で最後の指揮を執る。集まった満員の観衆は、それぞれの人生の思いを胸に、最後の姿を見守り続けた。長嶋茂雄とともに同じ時代を共有して生きてきた人、長嶋茂雄に憧れて、野球に興味を持ち始めた人、皆が時代を超えて生きた英雄の別れを惜しんだ。“長嶋~ッ”と叫ぶ声は、名残りを惜しむよりも、“ご苦労さん”という温かい気持ちのこもったものが多かったようにも見えた。

「スポーツ選手はいいですよネ、みんなから“ご苦労さま”と言われて、惜しまれて去っていけるのですから。我々、芸能人にはそれがないんです」

 タレントの萩本欽一が、そんな話を長嶋監督にしたことがあった。長嶋監督の答えはこうだった。

「いいえ欽ちゃん、それは違います。年齢制限というものがあるのです。いつまでも一線でやれる世界のほうが羨ましいくらいですよ」

原辰徳「長嶋さんに忠誠を誓います」

 長嶋茂雄は65歳になっていた。まだ体力的には自信はあったが、退任会見でも言っていたように、“引き際については、ここ数年間ずっと考えていました”という。次代の監督への委譲をずっと視野に入れながら指揮を執っていたのだ。だが、自分の理解者以外へ委譲することだけは絶対に許したくなかった。

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photograph by Bungeishunju

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