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「不思議な縁で」卒業後も同じ実業団に…青学大2014年同期・中村祐紀は「マラソンにも勝てて悔いなく引退」田村和希は「僕もやめるなら同じ境地で」
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佐藤俊Shun Sato
photograph byTadashi Hosoda
posted2025/06/19 17:02
卒業後に同じ住友電工に進んだ「青学2014年組」の中村祐紀と田村和希。中村が今年引退し、同期で競技をつづけるのは田村だけになった
中村の「陸上人生一番の会心のレース」
田村が苦しんでいたそんな時期、中村は意欲的にマラソンに取り組んでいた。2年目に別府大分マラソン、3年目にびわ湖毎日マラソンで2時間10分47秒の自己ベストを更新した。その後も福岡国際、東京マラソンに出場したが、結果がついてこなかった。
だが22年12月、防府読売マラソンで2時間8分29秒のサブテンを実現し、中村は初優勝を成し遂げた。入社以来4年半の時間を経て得た、素晴らしい結果だった。
「防府は、僕の陸上人生で一番当たったレースでした。こんなに会心の出来のレースは、もう二度とないだろうなって思えたぐらいです。実際、今思うと、それが自分の走りができた最後のレースになりました」
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中村は、大学2年の頃から慢性的な左のアキレス腱痛を抱えていた。ケアや治療をしていたが、箱根駅伝には怪我をしても走る価値があると思い、無理して走った。社会人になると右アキレス腱にも痛みが出た。練習量をセーブしなければならず、通常のマラソンを走る選手の2/3程度しか練習できていなかったが、それでも防府で勝った。
「優勝したけど、両足のアキレス腱がすごく痛くて、ごまかしながら崖っぷちすれすれをずっと走っている感じでした。手術の選択肢もあったんですが、一度メスを入れてしまうと元に戻らない可能性があると言われて……。
渡辺監督もアキレス腱痛が原因で引退されているので、怪我について話を聞いたりしたのですが、いろいろやってもダメでしたね」
トップに太刀打ちできなくなってきた
中村が両足のアキレス腱痛で苦しんでいる間、日本のマラソンシーンには、学生をはじめ、若く強い選手がどんどん出てきていた。23年、パリ五輪マラソン代表選考会のMGCは52位に終わり、日本のトップのなかではなかなか戦えない現実を味わった。
「MGCに出たり、(同じ住友電工の)遠藤日向が世陸(世界陸上)に出たのを見てきたので、自分も世界でという気持ちがありました。その反面、自分の現状を見るとあまりにも世界は遠いなと感じていました。
マラソンのレベルもどんどん上がってきて、2時間8分台で喜んでいるようじゃ太刀打ちできない世界になっていた。2024年の夏ぐらいから、諦めじゃないですけど、引退を考えるようになりました」

