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“理不尽すぎる”星野仙一「20キロやせねえとユニ着させねーぞ」「お前分からんのか!」本塁打王確定の夜に飛び蹴りを食らった山崎武司の記憶
posted2025/06/13 17:30
中日監督時代の星野仙一。当時を知る山崎武司が受けた“理不尽命令”とは
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Makoto Kemisaki
「母親からは『ジャイアンツには顔の審査があるんじゃない? あんたは顔で落ちたんだよ』と言われました。顔で入団できないなら、3年待ってもジャイアンツに入れませんよね(笑)」
子どもの頃から巨人に憧れ、スカウトからも「外れ1位で指名する」と約束されていた山崎武司。しかし1986年のドラフト会議、巨人の1位指名は阿波野秀幸。競合の末に交渉権を獲得できなかった巨人の外れ1位は、約束と違って木田優夫だった。山崎は最も行きたくなかった球団の一つ、地元・中日に2位指名される。
「体重20キロ落とせ」星野監督からの厳命が転機に
入団後、山崎は中日で星野仙一監督との因縁や“理不尽すぎる命令”に翻弄される。プロ10年目の1996年、49歳で監督に復帰した星野は、当時110キロほどあった山崎に「春季キャンプまでに20キロ落とせ。やせられなかったらユニホーム着させねーぞ」と命じた。
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わずか2カ月で20キロの減量に挑んだ山崎は、朝夕2食の野菜中心の食事と過酷なトレーニングを敢行した。1時間のランニングに続き、サウナ状態の部屋でエアロバイクを1時間こぐ日々だったという。
「普段はアニメを見ないのですが、気を紛らわすために名探偵コナンのビデオをずっと見ながらエアロバイクに乗っていました」
減量開始から10日で10キロ落ちたが、そこからが地獄だった。タイムリミットが迫る中、山崎は「わざと風邪をひいて食欲を落とす作戦」まで実行。結果、22キロの減量に成功。しかしキャンプインしてそれを報告しても、星野からは「そうか」の一言だけだった。
「お前、どんな気持ちで敬遠したか分からんのか!」
そして1996年シーズン、山崎は打率.322、39本塁打、107打点の成績を残し、本塁打王のタイトルを獲得する。ここでも星野から“まさかの一撃”を浴びた。

