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「あまり悲しまないでよ」内藤哲也42歳“新日本プロレス退団”の衝撃…ヒザの爆弾、視力にも異常“満身創痍だった制御不能男”はどこへ向かうのか?
text by

原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2025/05/08 18:39
入場しポーズを決める内藤哲也。5月4日、福岡国際センター
ヒザの爆弾、視力にも異常…満身創痍だった内藤哲也
内藤は新日本プロレスに憧れ、2005年に入門した。そして2006年5月27日、デビューした。それから約19年を新日本で過ごした男が、42歳にして新日本から去った。
かつて「武藤敬司のコピー」と言われた男は、時代の申し子として新日本に貢献した。2012年8月、仙台で入門前に断裂した右ひざ前十字じん帯を痛めてしまい、だましだまし戦っていたが、手術のため長期欠場した。
2013年には『G1 CLIMAX』初優勝。
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2015年、久しぶりにメキシコに渡った内藤はCMLLのリングでロス・インゴベルナブレスという反体制のルチャドールたちと出会う。この出会いが内藤を変えていった。
日本に帰ってきた内藤は同年7月から、スーツを着て、時間をかけた入場をはじめ、ふてぶてしいキャラクターに変身していった。この変化が最初から当たったわけではないが、10月にはタッグパートナーにEVILを連れてきた。
さらにBUSHIが加わると日本用に「デ・ハポン」を足して本格的にユニットとしての活動を始めた。
2016年、内藤のLIJは時代の主流になった。この年のプロレス大賞MVPとなり、2017年、2018年と内藤人気はとどまるところを知らなかった。
2020年1月4日、東京ドームで内藤はジェイ・ホワイトを破りIWGPインターコンチネンタル王座を奪取すると、翌5日にはオカダ・カズチカを倒してIWGPヘビー王座も奪い、IWGP史上初の2冠王者になった。だが、ずっと口にしてきた念願の東京ドームでの「デ・ハポン」の大合唱はKENTAの乱入によってかなわなかった。
2024年1月4日、SANADAを倒してIWGP世界王座も戴冠し、やっと「デ・ハポン」の大合唱を果たすことができた。
ヒザには常に爆弾を抱えていたが、さらに目がかすむという困難が内藤を襲っていた。得意技のDDTであるデスティーノを放つとき、ロープを蹴る目測を誤るシーンを何度か目撃することになる。それでも内藤が新日本を離脱することは予想できなかった。「オレはフリーだよ」という話が伝わってきても、そんなことはないだろうな、と思っていた。


