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「遠山-葛西-遠山-葛西」阪神タイガース“暗黒時代”を支えた伝説の継投…崖っぷち左腕が野村克也に学んだ“奇策”の意味「巨人をチームとして見るな」
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米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/30 17:03

阪神再入団後、サイドスローに転向して貴重な中継ぎとして活躍した遠山奨志(1999年)
左キラーの遠山を左打者、右のアンダースロー葛西稔を右打者に当てる継投だが、ワンポイントだけで終わらせるのではなく、例えば遠山が先に登板して抑えた場合、そのあと葛西に交代しても、遠山はベンチに下がらず一塁の守備につき、右打者を挟んで再登板する「遠山-葛西-遠山-葛西」という異例の継投策だ。
「苦肉の策というか、弱いチームの策なんですよ」と遠山は苦笑する。
「僕ら弱かったですからね。もう、2点取ったら御の字みたいな感じで、それを守りにいくんだから、しんどいですよ」
阪神暗黒期の奇策「1回でも失敗したら…」
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遠山が入団する前年の1985年の日本一以来、優勝から遠ざかり、98年から4年連続で最下位が続いた暗黒時代。遠山と葛西がマウンドと一塁を行き来しながら相手打線を抑える奇策は、当時の阪神ファンにとって爽快な、数少ない楽しみだった。
だが、当人たちには複雑な思いもあったようだ。
「プレーヤーからしたら、やっぱり1イニング投げたいというのはあります。でも、そこまでの力はないと見られて、野村監督は決断した。僕はまだロッテ時代にファーストをやったこともありましたけど、葛西は『うわー!』って、僕以上に思ったんじゃないですかね。葛西がファーストに行った時には、極力打たせないように、という気持ちはありました。
それに、一度マウンドを降りるとやっぱり精神的に……オンとオフが難しい。フィールドの中にはいても、また全然違いますからね。でも1年間、失敗せずに終われた。野村監督も『一回でも失敗したらもうしなかった』と言っていました。勝つためにいろいろなことをするという面では、なるほどなと思いましたね」