野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
「試合前はスープだけ…隠れておにぎり食べる選手も」横浜ベイスターズ“暗黒時代”の悲哀…「勝てないとわかってた」山下大輔はなぜ監督を引き受けたのか?
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村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/04/22 11:05

2003年から2年間、横浜ベイスターズの監督を務めた山下大輔氏。当時、球団は長い“暗黒時代”に足を踏み入れつつあった
ファンやマスコミの批判も「苦しいことは忘れちゃう」
――セカンド村田、ショート内川、サード古木、ライトにタイロン・ウッズなど、攻撃に全振りしたディフェンスレスな野球で挑んだ結果、守備陣が崩壊しましたが、金城が.302、16本、鈴木尚典も.311、19本と復活し、村田が25本、古木が22本、多村が18本、そしてウッズが40本で本塁打王に。ホームラン数がほぼ倍増するほどの攻撃力を見せつけ、ロマンしかありませんでした。ただ、勝てなかったです。
「やっぱり野球はディフェンスが大事ということを証明しましたよね(笑)。でも勝てなくても信念だけは通したかった。シーズンの最中に友人から手紙をもらったんですよ。『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ』というね。すごく好きな言葉で、そのおかげで、今は苦しくとも必ず将来に繋がるという思いを持ち続けることができました」
――2003年の成績は球団ワースト3位となる94敗、勝率.324ですから、マスコミやファンからも随分と叩かれました。伸ばすべき根であるレギュラー育成という使命があるとはいえ、胃を壊したり、眠れない日々が続くなど大変な心労があったのではないでしょうか。
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「(星野)仙一さんの胃薬じゃないけどね、そういう覚えはないんだよね。夜寝つきが悪いというのもない。あのね、女房がよく言うんです。『あなた、あんなに勝てなかったのに、いつもと変わらずよく寝ていたわね』って。苦しかったことはすぐ忘れちゃう。高校や大学の厳しい練習なんかでもね、あんまり思い出として残ってない。じゃあ大活躍した時の思い出は残っているかっていうと……これもそうでもないんですよね」
<第2回に続く>

