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「試合前はスープだけ…隠れておにぎり食べる選手も」横浜ベイスターズ“暗黒時代”の悲哀…「勝てないとわかってた」山下大輔はなぜ監督を引き受けたのか?
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村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/04/22 11:05

2003年から2年間、横浜ベイスターズの監督を務めた山下大輔氏。当時、球団は長い“暗黒時代”に足を踏み入れつつあった
「自分としては監督なんてまったく考えていなかったですね。2002年は森さんが3年契約の2年目途中でしたから、僕はその秋に韓国で行われた全日本のアジア大会にコーチとして参加していたんです。その時に、突然監督の話が舞い込んできた。ただ、ベイスターズの状況はよくなかったからね。1998年の優勝は、選手たちも一番脂が乗っていた時期ですよ。個性的な打者に鉄壁の守備。抑えに大魔神(佐々木主浩)がいて、野球で勝つために必要な条件が揃っていた。それからわずか数年で、最下位に沈んでしまった。これは優勝してからの補強がうまくできていなかったんだろうね」
「僕の頭のように…ケガなく明るく輝いて」
――すっかり元気をなくしていたチームの中で、山下さんの監督就任は明るいニュースだったことを思い出します。監督就任直後の挨拶で、「僕の頭のようになってほしい。ケガなく明るく輝いてください」という、自らを犠牲にして笑いを取りにいったスピーチは球団の歴史に残る名挨拶だったのではないでしょうか。
「いや、チームが暗かったからここで明るく盛り上げようとか、そういう意図はなかったんだよ。ああいうダジャレは、なんだろうね。“地”なのかもしれないね」
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――やはり、地ですか。
「つい出ちゃうんだよ。自虐ネタっていうの? それもつい出ちゃうんだよね。カメラマンに囲まれると『今日はフラッシュいらないですよ』とかね……。言っちゃうんだよ」
――「ホルトがほうると」なんて名作もありました。
「それも言っちゃうんだよね(笑)。でも投手陣が弱いというのはあったんだけど、外国人のドミンゴとかね、粗削りだけど頼もしいピッチャーもいた。プロ野球のレベルで1年間勝っていける安定感のようなものがなかっただけでね」
――98年から5年が経ち、大魔神・佐々木は海を渡り、野村弘樹は引退。三浦大輔、川村丈夫は手術明け、抑えから先発に戻った斎藤隆は不振で、正捕手の谷繁元信はFA流出。野手ではロバート・ローズも駒田徳広も進藤達哉も波留敏夫もいなくなって、チームは過渡期でした。
「外にいてもベイスターズのことは見ていましたけど、内容的にも98年とはまったく違うチームになっていましたよね。名将と言われる森さんがやってああいう形になるんですから、どんな人が監督をやっても勝てないチーム状況だろうなという気持ちはありました」