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「親父、僕は力士になれない…」15歳白鵬少年が覚悟したモンゴル帰国「“さよなら会”の食事中に電話が」元NHKアナが知る“奇跡の入門”秘話
text by

藤井康生Yasuo Fujii
photograph byKYODO
posted2025/05/22 11:05

白鵬の新十両昇進を祝う両親(2003年12月)
白鵬は平成13(2001)年三月場所で初土俵を踏みます。この時の新弟子検査では1m80cm、80kgに成長していました。初来日からわずか4カ月で身長にして5cm伸び、体重も20kg近く増えていました。
しかし、すぐに相撲の結果が出るわけではありません。
朝青龍のように日本の高校で相撲を経験したわけでもなく、白鵬はまったくの「初心者」です。序ノ口の番付に初めて白鵬の四股名が載った平成13年五月場所といえば、前述の貴乃花が膝の大怪我に耐えて優勝を果たした場所です。その2日目、白鵬は相撲人生最初の一番で鳴戸部屋の隆古川に寄り切りで敗れています。
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「私の相撲人生は黒星から始まりました」。白鵬はよく口にします。そして、3勝3敗で迎えた千秋楽には、トンガ出身で武蔵川部屋の南ノ島に送り出され、最初の場所は3勝4敗の負け越しでした。
その後は、宮城野親方の言うように、基本の稽古を大事にしながらみるみる技術を習得し、1年間、勝ち越しを続けました。しかも番付が上がるにしたがって体も徐々に大きくふっくらとしていきます。
3時間かける入念な準備運動
この頃から稽古場での白鵬の準備運動はますます念入りになります。関取に昇進してからは、2時間以上、ときには3時間はかけて、柔軟運動、四股、てっぽう、すり足とじっくり丁寧に体を温め、そしてようやく土俵に入って相撲を取る、そんな毎日でした。取材として白鵬の稽古を見学していますが、準備運動を延々と見せられても面白くはありません。稽古場の上がり座敷で稽古を見ながら、もうそろそろ相撲を取る稽古を始めてもらえないかといつも思っていました。
あるとき、すでに横綱になっていた白鵬本人に「準備運動が長すぎて正直言って面白くない」と冗談で話を向けたことがあります。
「自分でも面白いわけはないですよ。でも、若い頃から毎日毎日これをやってきて、もうこれがないと稽古は始まらないし終わりもしないのです。これがあるから長く土俵に立てていると思います」
白鵬の出世物語は準備運動の賜物でした。白鵬が毎日積み重ねた努力は、少なくとも私には真似をすることができません。
〈つづく→平成名勝負“朝青龍vs白鵬”編に続く〉

