大相撲PRESSBACK NUMBER

「親父、僕は力士になれない…」15歳白鵬少年が覚悟したモンゴル帰国「“さよなら会”の食事中に電話が」元NHKアナが知る“奇跡の入門”秘話 

text by

藤井康生

藤井康生Yasuo Fujii

PROFILE

photograph byKYODO

posted2025/05/22 11:05

「親父、僕は力士になれない…」15歳白鵬少年が覚悟したモンゴル帰国「“さよなら会”の食事中に電話が」元NHKアナが知る“奇跡の入門”秘話<Number Web> photograph by KYODO

白鵬の新十両昇進を祝う両親(2003年12月)

「どこからも声がかからず、翌日の飛行機のチケットもいただき、両親にも土産を買っていました。両親に電話もしました。 『力士にはなれない、オリンピックを目指します』と親父には伝えました。ところがその夜、さよならパーティーで食事をしているところに一本の電話がありました。力士になれるかもしれないという電話でした。朝と夜の何時間かで自分の運命が変わったという忘れられない日です」

 平成12年12月24日、クリスマスイブに15歳の少年の運命が変わりました。モンゴルからの先駆者の一人で当時幕内力士だった旭鷲山が、師匠の大島親方(元大関旭國(あさひくに))を通じて宮城野親方(元前頭竹葉山(ちくばやま))に「一人、入門させてもらえないか」打診してくれたのです。宮城野親方はこれを了承し、「一番背の高い子を預かる」と伝えました。

「あまりにも細すぎる…だが」

 入門が決まらず残った4人のうち、最も背が高かったのがのちの白鵬です。来日した時は1m75cm、62kgでした。宮城野親方は、白鵬の父親(ジグジドゥ・ムンフバト)がモンゴル相撲の大横綱(5年連続通算6回の優勝)であり、オリンピックの銀メダリスト(メキシコオリンピックのレスリング重量級でモンゴル初のメダリスト)でもあることなど、当初は知りませんでした。

ADVERTISEMENT

 当時のことを宮城野親方に聞くと次のように話してくれました。

「あまりにも細すぎる体を見て、(出世するのは)難しいと思った。とにかく最初は四股やてっぽうといった基本を教えるだけで相撲は取らせなかった。あとは無理やりにでも食べさせて牛乳を飲ませ寝かせるだけ。ところが教えたことがすぐにできる。飲み込みも上達も速い。入門からしばらく経った頃に白鵬の血筋を知り、 『道理でモノが違う』と納得できた」

【次ページ】 4カ月で身長が5cm伸び、体重は20kg増

BACK 1 2 3 NEXT
#朝青龍
#白鵬

相撲の前後の記事

ページトップ