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「ベイスターズは逆境になぜ強いのか」DeNA三浦大輔監督が明かす“逆境に打ち勝つマインド”「ナニクソ、なめられてたまるかって」 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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photograph byNaoya Sanuki

posted2025/04/04 17:02

「ベイスターズは逆境になぜ強いのか」DeNA三浦大輔監督が明かす“逆境に打ち勝つマインド”「ナニクソ、なめられてたまるかって」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

昨季は就任4年目にして日本一となった三浦監督。Aクラス入りは3度だが、リーグ優勝はまだない

 戦国時代の三本の矢の教訓じゃないが、教科書で読んだスイミーじゃないが、時に弱者が強者を凌駕するほど、全員が前向きに同じ思いで統一された組織は強い。しかし、その実現は何よりも難しく、結束は簡単にバラバラに解けてもしまう。ひとつになりたいのにひとつになれない。そのジレンマを最も体験してきた人こそ三浦大輔その人ではないか。

「自分自身も選手の頃は自分のことしか考えていませんでしたからね。試合に出たい。活躍したい。自分、自分です(笑)。でもあの優勝、1998年の日本一から徐々に気持ちが変わっていったのかな。その後の時代、バラバラになってしまって、苦しい時間が長かったですからね。みんなと一緒に勝ちたい。そういう気持ちが、どんどん強くなっていきました。逆境があればあるほどナニクソ、なめられてたまるかって」

たった一度の成功体験

「ベイスターズは逆境になぜ強いのか」

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 それを知るには『逆境での闘い方』なんて著作まで持つ三浦大輔を見ればいい。

“逆境”。

 三浦大輔はいつもその場所に居た。代名詞のリーゼントがそれを象徴するかのように、常に向かい風が吹いていた。

 1991年。高卒ドラフト6位。これと言って特徴のない細身の投手は、誰よりも自我が強かった。信奉する矢沢永吉の「成りあがり」が如く、自ら打撃投手を買って出ては先輩打者相手にアピールを重ね一軍のチャンスを掴んだ。髪型はリーゼント、背番号は18を要求し、番長という呼び名も最初は嫌ったが、世間に覚えてもらうためならと、前へ前へと受け入れた。

 1998年。一軍では下から2番目の若さでローテ投手になっていた三浦は、38年ぶりの日本一を目の当たりにする。束になって襲い掛かるマシンガン打線に、「大魔神へ繋げ」を合言葉に団結した投手陣。後押しを惜しまない球団フロントにスタッフ。そこで生み出されていた圧倒的なグルーヴ感に、マグマの様に鬱積していたファンの声援が大爆発を起こす。すべてが一体になれた奇跡のような一年は、三浦にとってたった一度の成功体験。しかし栄光は泡沫の夢のように立ち消え、人はいなくなり、あとには厳冬の時代が訪れた。

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