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22歳になった元“高校生サーファー”の現在…松田詩野がロサンゼルス五輪を強く意識したきっかけとは?「3年間はあっという間だと思うので…」 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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posted2025/03/30 11:00

22歳になった元“高校生サーファー”の現在…松田詩野がロサンゼルス五輪を強く意識したきっかけとは?「3年間はあっという間だと思うので…」<Number Web> photograph by Yumiko Yanai

ロサンゼルス五輪に向け、成長を続ける松田詩野

松田の思いを変えた“あるきっかけ”

 ロサンゼルス五輪のメダルへの思いをより一層強めたきっかけがあった。パリ五輪の閉会式だ。タヒチ開催競技はサーフィンのみで、日本男子は五十嵐カノアを筆頭に国別の最大枠数である3選手が出場したが、女子は1人だけ。松田はタヒチでの日々を「自分のサーフィン人生においてすごく大きな、大切な時間だった」と振り返りつつ、「パリに行って閉会式に参加してオリンピックの大きさを感じたし、(閉会式の演出が)ロサンゼルスに変わった瞬間、自分も絶対にあそこにいたいという思いがすごく強くなった」と刺激を受けたことを明かした。

 閉会式ではメダルを量産したレスリング勢との交流も心に残った。須崎優衣や日下尚らが仲良くしてくれてメダルも持たせてもらったといい、「メダルを獲った方たちは明るくてフレンドリー。そういう人間性も(成績に)影響しているのだなと感じました。次は自分もメダルを獲ってみんなと閉会式で再会したいです」と目を輝かせて言う。

「1年1年を大切に」松田が続ける挑戦

 サーフィンが東京五輪から追加種目として採用されることが決まった'16年8月、まだ13歳だった松田の胸に五輪出場の夢が芽生えた。17歳だった'19年9月には、ワールドゲームズでアジア最上位になって東京五輪の条件付き出場内定を獲得。ところがその後、コロナ禍で状況が様変わりし、'21年5~6月のワールドゲームズの成績により、東京五輪の内定を失った。'24年パリ五輪の出場権は、失意の淵から立ち上がり、努力の末に獲得したもの。21歳になった松田は世界一難しいと言われるタヒチの波にフォーカスして強化を重ね、パリ五輪本番では9位タイの成績を残した。

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 松田は「ロサンゼルスは街と海がミックスしている感じで雰囲気が大好き。波は日本と似ている感じかな」と好印象を口にする。そしてこのように言う。

「次は自分のレベルも上げて日本女子の枠を増やして戦えるようにしたい。ロサンゼルス五輪までの3年間はあっという間だと思うので、1年1年を大切にやっていきたいです」

 松田詩野の挑戦は続く。

松田詩野Shino Matsuda

2002年8月13日生、神奈川県出身。6歳からサーフィンを始め、'16年にプロ資格取得。'23年ワールドゲームズでアジア最上位の13位となりパリ五輪代表に内定、本大会では9位タイ。158cm。

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