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「世界女王ともライバルだった」〈テニス天才少女〉は錦織・大坂フィーバーの陰でなぜ「消えた」のか…錦織圭と同学年・森田あゆみ引退後の「今」
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山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2025/03/21 17:00

2008年、全仏オープンで戦う森田あゆみ(当時18歳)。フォア・バック両手打ちは今となっては極めて珍しい
2013年の全米オープンを欠場したのは腰痛が理由で、17歳の頃から連続で出場してきたグランドスラムの本戦は19でストップした。翌年の全豪オープンは手首の痛みを抱えながら出場したものの、その後ランキングを落としたため全仏オープンとウィンブルドンは予選からの出場となり、いずれも敗れて、間もなく戦列を離れた。より深刻だったのは手首でなく腰のほうだった。簡単なプロセスではないと覚悟していたからこその、丸山コーチの決意の言葉だったのだろう。
元女王・アザレンカからのエール
8カ月試合を離れたが、2015年3月に復帰がかない、4月にはフェドカップ代表メンバーにも選ばれた。対戦したベラルーシのエースで元女王のビクトリア・アザレンカも「彼女のことはジュニアの頃からよく知っている。ケガから戻ってこられて私もうれしい」とエールを送ったが、このシーズンは5大会を戦って再びコートを離れなくてはならなくなった。今度は、もう一つの懸念だった右手首だった。大切な部位に初めてメスを入れた。それ以降、かつて〈天才少女〉と呼ばれた一人のテニスプレーヤーの存在は表舞台から消えていく。
その頃といえば、2014年に錦織圭が全米オープンで初のグランドスラム決勝進出を果たし、2016年には18歳の大坂なおみが全豪オープンで鮮烈デビュー、2年後には全米オープン優勝の大フィーバーを巻き起こした。日本テニス界は沸きに沸き、私たちはファンもメディアも浮かれていた――。そんな時期と、森田の谷底の年月は重なる。
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世間の狂騒をよそに苦闘していた時期は、天才と呼ばれた選手の心に何を残したのか……引退して1年半。レッスンを終えたコートの脇で、森田は口を開いた。
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