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「僕の先生でした」城島健司がいま明かすイチローとの“師弟関係”「イチローさんの隣で生活していたら、時計がいらない」理由とは?

posted2025/02/17 17:01

 
「僕の先生でした」城島健司がいま明かすイチローとの“師弟関係”「イチローさんの隣で生活していたら、時計がいらない」理由とは?<Number Web> photograph by JIJI PRESS

マリナーズでイチローと4年間をともに過ごした城島健司(左)が語った「イチローとの師弟関係」とは

text by

酒井俊作

酒井俊作Shunsaku Sakai

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JIJI PRESS

 2006年からマリナーズでイチローと4年間を共に過ごした城島健司。あれから19年を経たいま、イチローとの師弟関係を明かした。
 発売中のNumber1114号に掲載の《[同僚が見た背中]城島健司/黒田博樹「隣にいたから分かること」》より内容を一部抜粋してお届けします。

「誕生日にイチローさんが2500安打を打った」

 日本でだれよりも有名な背中を私が目の当たりにしたのは2006年だった。細身で肌の白さが印象的だった。野球場ではミントグリーンで縁取られた濃紺の「51」の鎧をまとう。さぞや広背筋が盛り上がり、筋骨隆々なのだろうと思い描いていたから意外だった。銭湯の湯けむりのなかで並んでも希代の大打者だとは気づかないだろう。

 '06年6月7日、ツインズとの乱打戦をサヨナラ勝ちで制したマリナーズのセーフコ・フィールドのクラブハウスは賑々しかった。打線の火付け役はやはりイチローだった。初回の初球先頭打者本塁打など4安打で日米通算2500安打に達した。

「僕の誕生日にイチローさんが2500本を打った。それでいいじゃないですか!」

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 おどけながら報道陣に話したのは翌日に30歳を迎える城島健司だった。この年から米球界に挑んだ日本人初のメジャーリーガー捕手の熱弁を聞いていると隣のロッカーでイチローが着替えるのが見えた。本当に贅肉がないなあ……そう感心していると、城島の快活な声が耳に入ったのだろう。すかさずイチローの鋭い突っ込みが入った。

「誕生日、明日ちがうんか!」

 すると、城島がまぜっかえす。

「日本で生まれたから今日なんです!」

 当時、イチローはアメリカで5年200安打以上を継続し、城島は3学年上の先輩を師と仰いでいた。会話を日々、繰り返すなかで、その野球観、いや、道を極めようとする偉才の気迫に圧倒されていった。

「打つ方でも守る方でも僕の先生でした」

 あれから19年。城島はイチローとの師弟関係の始まりについて明かした。

「そもそも僕はイチローさんがいたから、シアトルを選んだんです」

 ホークスで日本球界No.1捕手の地位を築き、'05年オフにFA宣言するとメジャー6球団による争奪戦が繰り広げられた。城島は長い間、敵として痛打を浴びてきたオリックスのリードオフマンと親密だったわけではないが、その存在は進路を定める重要なポイントだった。

 '06年4月、エンゼルスとの開幕戦でバートロ・コロンから右翼にメジャー初安打初本塁打を放つと、翌日はジョン・ラッキーからアーチを左翼へ。ふたりの実力派右腕から開幕2戦連発と最高の滑り出しだった。

【次ページ】 「打つ方でも守る方でも僕の先生でした」

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