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「栗山英樹のもとに井端弘和が!」日本ハムキャンプでWBC監督“青空会談”が実現…「そこは考えておかないと」新庄監督とも話したこととは
posted2025/02/10 17:01

日本ハムキャンプを訪れた日本代表・井端弘和監督。前監督の栗山英樹氏とも話す場面も
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広尾晃Kou Hiroo
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Kou Hiroo
今年の沖縄キャンプは寒波で冷えている
今年のキャンプインは、あいにく雨模様となった。北海道から九州まで寒波が襲来しているが、実は沖縄もかなり寒い。寒いと言っても15度くらいなのだが、沖縄にいると本当に「寒い」と感じる。街ゆく人々はダウンジャケットを身にまとっていた。
2月3日朝、那覇は雨が降っていたが、車で1時間30分の日本ハムキャンプ地、Enagicスタジアム名護は、辛うじて雨は上がっていた。
名護は沖縄北部の森林地帯、山原(やんばる)の入り口にある都市だ。那覇など南部とは異なり、サンゴ礁があるために海の色は、コバルトブルーだ。
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この球場は1978年から日本ハムが春季キャンプで使用していた。大谷翔平も日本ハム時代はこの球場で始動していた。筆者は右翼を守る大谷のレーザービームを見たこともある。石垣造りの味のある球場だったが、老朽化のために2017年に解体された。この間、日本ハムは名護よりさらに北にある国頭村でキャンプを張っていたが、2020年新たな球場が完成して、再び名護に戻ってきた。
午前9時半、曇天の中、選手たちはアップ、キャッチボールを経て、シートノックを始めている。谷内亮太コーチのノックバットから、内外野にボールがはじき出されていく。
井端監督は…新庄監督と何を話した?
シートノックが始まった直後に、侍ジャパンの井端弘和監督が姿を現した。
目の前では、三塁を守る清宮幸太郎がボールをさばいている。清宮は1月6日から参加していたソフトバンク柳田悠岐らとの合同自主トレの期間中に左手の指を負傷して帰郷し、鎌ケ谷の二軍施設でトレーニングをしていた。キャンプは二軍スタートか、と言われたが、元気に姿を現した。井端監督は、そんな清宮の動きを追い続けていた。「彼は誰と同世代だっけ?」などとスタッフに聞いている。
そこへ、真っ黒なマスクで顔を覆った日本ハム新庄剛志監督がやってきて、井端監督の肩を抱いて歓待した。新庄監督の方が4学年上だ。井端監督は恐縮しながら、新庄監督の話に聞き入っている。
この後に行われた囲み取材で「新庄監督と何を話したか?」と問われた井端監督は「新庄監督から、こういう選手がいるよって、日本ハムの選手をかなりたくさん挙げていただきました。それに、他球団の選手についても話していただいた」と語った。
自軍のチームの選手を推すのは当然として、他球団の選手まで推すとは、これも新庄流なのだろうか。