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「薬物逮捕の弟を救ったボクシング」“元祖・入れ墨ボクサー”がボロボロになるまでリングで戦った理由「兄貴はこんな凄い世界にいたのか」 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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photograph byKenji Hayashi

posted2025/01/27 11:05

「薬物逮捕の弟を救ったボクシング」“元祖・入れ墨ボクサー”がボロボロになるまでリングで戦った理由「兄貴はこんな凄い世界にいたのか」<Number Web> photograph by Kenji Hayashi

派手なファイトスタイルと人懐っこい性格で人気を集めた大嶋宏成(2000年)

 2001年以降、宏成の体は満身創痍だった。3度に亘る目の不調に加え、全身が怪我に蝕まれていた。頭のイメージに体がついてこない。

「大嶋は終わったボクサーだ」

 そう揶揄される声も聞こえてきたが支援者やファンのために、拳を振り続けた。だが、同時に引き際も探していた。

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 2005年8月、3度目のタイトル挑戦に敗れ、宏成はリングを去る。

 苦悶しながらも生き方を変えなかった兄の背中は、ボクシングに打ち込み始めたからこそ、記胤には一層偉大に映った。

 プロボクサーになることを決意したのは、兄からバトンを受け取る意味合いも込められている。幼い頃は疎ましかった「大嶋の弟」と呼ばれることも次第に受け入れられるようになった。

全身に入れ墨が入っていた記胤

 飽き性だった男は、ボクシングに没頭している時は不思議と全てを忘れられた。ボクシングのためなら仕事も苦に感じることがない。だが、リングに上がるためには大きな問題が残されていた。記胤の入れ墨は全身を覆っていた。移植できる皮膚の場所もない。

 日本ではライセンスが降りる可能性は低いと知るも、記胤は諦めなかった。海外なら試合が出来ることを知り、実績を積むことでJBCに認めさせるという荒業に出る。

 デビュー戦は異国の地だった。1年間タイで3戦をこなし、3戦3勝。一層ボクシングに打ち込む姿に、周囲は何とか日本でリングに立たせたいと動いた。

 大嶋兄弟の周りには不思議と人が集まった。口が立つ兄はともかく、人懐っこい弟にしても同様だった。タイの遠征費を捻出してくれるスポンサーも現れた。宏成と交流が深かった内藤大助や畑山隆則らの世界王者も、記胤の姿をみて支援を申し出た。胸の入れ墨をレーザー治療で除去し、JBCも首を縦に振る。32歳になっていた。

【次ページ】 兄と同じライト級を選んだ理由

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