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「薬物逮捕の弟を救ったボクシング」“元祖・入れ墨ボクサー”がボロボロになるまでリングで戦った理由「兄貴はこんな凄い世界にいたのか」
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byKenji Hayashi
posted2025/01/27 11:05
派手なファイトスタイルと人懐っこい性格で人気を集めた大嶋宏成(2000年)
2歳下の弟である大嶋記胤がはじめて拳をグローブに通したのは、兄の東洋太平洋王者の夢が破れた後だった。
当時の記胤は仕事も続かず、街に出ては酒場に入り浸り、ヤクザが相手だろうと不要に噛みつくなどトラブルも絶えなかった。再び薬物に手を染め、精神は荒んでいく。弟のそんな様子を見かねた兄は、八街市に呼び寄せることにした。
「定職につくことを条件に、ね。違った世界を知るキッカケがあれば、あいつは変われると信じていました。いや、あの頃はそう信じるしかなかったんです」
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記胤は当初、飲み屋を探すのも苦労するほどの田舎町への環境の変化に戸惑った。だが、ここで立ち直れないと後がないという危機感が勝った。何より、兄の努力を間近で見続けたことは心に染みた。
以降、記胤は人が変わったように働き始める。
“喧嘩自慢”が中学生にボコボコ
郵便局の配達員という働き口を探し、小指には指サックをつけることが日常になった。兄の厳しい監視も次第に不要になっていく。
少し生活も落ち着き始めた26歳のころ、宏成が所属するシャイアン山本ジムを訪れた。喧嘩自慢で、路上では負けなし。ただ、リングに上がると練習生の中学生にすらボコボコに殴られた。
「兄貴はこんな凄い世界で戦ってきたのか」
この日から、記胤は兄と同じリングに上がることが目標となった。
「ボクシングセンスが壊滅的になかったんです。でも、根性だけは誰にも負けてたまるかと歯を食いしばった。センスがないなら、人の何倍、何十倍も練習するしかない、と」