甲子園の風BACK NUMBER
プロ2試合で戦力外通告…“消えた天才”島袋洋奨32歳の告白「真っ直ぐに頼りすぎた」「“たられば”はない」恩師の証言「消耗は宮城大弥の倍以上」
text by
松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/01/10 11:05
島袋洋奨はプロ入り後もコントロールに苦しみ、一軍登板わずか2試合で選手としてのキャリアにピリオドを打った
それでも「後悔はない」と断言する理由
高校、そして大学での疲労と消耗。この点について島袋に尋ねると、少し苦笑した後、躊躇なく答えた。
「疲労に関しては『全然』と言っていいほどなかったです。ただ指導者目線で言えば、芯からの“勤続疲労”はあったのかもしれませんね」
くどいようだが、島袋は高卒でのプロ入りを本当に考えていなかったのだろうか。そして、大学に進んだことを後悔していないのか。どうしても確信が持てず、失礼を承知で再び尋ねると、島袋は一つひとつの言葉を噛み締めながら言い切った。
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「高卒でのプロ入りはまったく考えなかったですし、僕の中では“たられば”もありません。大学は後悔どころか、心の底から行ってよかったと思っていますよ。野球部以外の仲間もたくさんできましたからね」
もの静かな島袋の口ぶりが、この時ばかりは強い意志と厳粛さを帯びていた。どんな結末を迎えたとしても、自分の選択に言い訳はしない。甲子園のマウンドに君臨した“琉球トルネード”の糸を引く直球に負けず劣らず、どこまでも実直な人間性を垣間見た気がした。
<第1回、2回とあわせてお読みください>