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「え? そのペースで行くわけ?」駒大・大八木監督も驚愕…24年前の箱根駅伝“学生最強エース”との紫紺対決に挑んだ闘将ランナー「超無謀な大激走」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byフォート・キシモト
posted2025/01/03 11:00
復路の最終盤までもつれた2001年の箱根路。9区を走った駒大・高橋正仁と順大・高橋謙介のマッチレースはまさかの展開に…
その中でもとりわけ印象的だったのが第3ラウンド、01年だった。ただでさえ逆転が珍しい復路の終盤で立て続けに順位が入れ替わる。今となっては、この年の最後の2区間は、4年間の紫紺対決の壮絶さを象徴しているかのようだった。
トップ・順大から28秒差のスタート…追う駒大
駒大9区の正仁が戸塚中継所で8区の武井拓麻から右手で襷をつかみとった時、トップを走る順大がスタートしてから28秒が経過していた。距離にして約150mの差だった。
しかもこれは、単なる28秒差ではなかった。前を行くのは順大の主将、4年生の高橋謙介だったからだ。日本中から陸上エリートが集結する順大にあって、2年から9区の区間記録を塗り替える走りを見せ、チームを優勝に導いた。3年時は「花の2区」を区間2位の好記録で快走。名実ともに、順大のエースであり、学生駅伝界のスターだった。
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その点は正仁も潔く認めていた。
「謙介さんは当時、学生の中ではトップのレベル。自分より絶対上だと思っていた」
だが、そう認めつつも、正仁は気後れするどころか、「気持ちで引いたら追えなくなる」とむしろ闘志をかき立てられていた。
1万mのタイムでは正仁は謙介より37秒も遅かった。9区は戸塚から鶴見まで23kmの道のり。単純計算なら、追いつくどころか、逆に1分以上離されても不思議はなかった。
しかし正仁はロードレースになると人が変わったように力を発揮した。
「トラックが苦手というわけではないんでしょうけど、同じところをぐるぐる回るのが好きじゃないんです。何か、走れない。でもロードになったら負ける気がしなかった」