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「寿人さんがいなかったら…」3度目優勝の夜、佐藤寿人の胸で青山敏弘は泣いた…「トシはチームのエンジンでした」いま、青山引退に佐藤が泣いた 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2024/12/28 17:04

「寿人さんがいなかったら…」3度目優勝の夜、佐藤寿人の胸で青山敏弘は泣いた…「トシはチームのエンジンでした」いま、青山引退に佐藤が泣いた<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

キャプテンを引き継ぎ、ふたりで幾度もゴールを決めた青山の現役引退に、佐藤が熱い言葉を贈った

「チームのこともそうですけど、日本代表としてワールドカップへのメンバー争いもあって、トシが背負うものっていうのが一気に増えた。(ナビスコカップの)ファイナルで敗れたときの涙は責任感から出たものだと思います。

 傍でトシが背負うものを見てきたつもりだし、何とか力にもなりたいという思いはありました。でもキャプテンじゃない自分が前に出ていってしまえばどうなるかとか、いろいろ考えました。やっぱりトシが先頭に立つという姿が必要なんだと思い、意図的に一歩引いて見るようにはしていました」

青山は意識を変えた

 苦しんだ新キャプテンは、己を変えていく。2015年シーズンを迎えるにあたり「楽に1年間やる」と自分のテーマをサポーターの前で掲げた。あまり背負い込まず、チームメイトに自分の意見を伝えながら、意見を聞きながらすり合わせていく作業を大切にするようにした。自分が引っ張るというより、自分もチームのワンピースになる。その意識の変化によって、佐藤の目から見ても、苦しみから解放された青山がいた。

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 全員の力を結集して王座を奪回し、佐藤も12ゴールを挙げて貢献した。何より青山のMVP受賞を自分のことのように喜んだ。LINEには青山からのメッセージが入っていた。

佐藤がこらえた涙

「寿人さんがいなければこの賞は絶対になかったと思っています」

 佐藤はあふれそうになる涙をこらえた。そうしないと長文に及んだメッセージを読めなくなってしまうからだった。

 佐藤は翌シーズンでサンフレッチェを退団して名古屋グランパス、古巣のジェフユナイテッド千葉でプレーし、2020年限りで引退した。選手では真っ先に、青山にその決断を伝えている。

【次ページ】 最後に優勝できなかったのが…

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