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「ゴールまでわずか150m…」じつは青学大に“悲劇の途中棄権”の過去…“驚異の12人抜き男”は牧場のオーナーに「箱根駅伝で起こった衝撃の事件簿」
text by
工藤隆一Ryuichi Kudo
photograph byJIJI PRESS
posted2025/01/02 11:00
2024年、大会新記録で総合優勝を決めた青学大。しかし過去には、悲劇的な途中棄権も経験している
「(12人抜きよりも)いちばん胸を打たれたのは往路優勝です。(東京農大は)私が入学するまで6年間も箱根に出られなかったのですから。私が1年に入って予選を通過して11位。その3年後に片道だけでも優勝できたのが、今でもいちばんうれしい」(『箱根駅伝70年史』より)
と服部は振り返っている。
“12人抜き男”は現在、牧場のオーナーに
服部は、神奈川県立相原高校時代にインターハイと国体の5000mで優勝。全国高校駅伝では同じ1区を走った大分・佐伯豊南高校の宗茂をものともせず、みごと区間賞を獲得した有望選手だった。当然、各大学、とくに強豪校からの勧誘が舞いこんだが、服部はそれらの誘いにまったく心動かされることなく、当時は強豪校ではなかった東京農大に進学した。理由はたったひとつ。家業の牧場を継ぐための勉強をするには、農業大学しかないと決めていたからである。
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服部は卒業後、大学に籍を置きながら、マラソン選手として1976(昭和51)年のモントリール五輪を目指す。しかし、最終選考会だった毎日マラソンで「練習をやりすぎて」惨敗。そして、あっさり選手生活にピリオドを打った。以後、高校時代からの目標だった家業の牧場経営に専念する。
服部は現在、宮ケ瀬湖のある丹沢山地東部の神奈川県愛甲郡愛川町で、県下随一の広さ30haを誇る「服部牧場」のオーナーである。牧場はファミリーが楽しめるバーベキュー施設やアイスクリーム工房も併設する観光牧場だ。
ホームページを開くと服部誠の名前がオーナーとして小さく書かれているが、かつて箱根駅伝を走り、12人抜きを演じた伝説のランナーであることにはひと言も触れていない。箱根での実績同様、じつに爽やかで潔い生き方である。
復路でも起きたごぼう抜き
この第50回大会では、復路でもごぼう抜きが演じられた。日本大の7区、野中三徳である。6区を終えて先頭の大東文化大とは2分39秒の差をつけられて10位。「この区間で必ずトップに立て」との永田コーチの指示通り、スタートから飛ばす。
4km地点までに東海大、専修大、国士舘大、中央大、東京農大の5人をあっさり抜いたあと、9.8km地点で順天堂大を抜き4位に。さらにスピードを上げた野中は15km地点で東洋大、日本体育大を次々と抜き去って2位に躍り出る。この時点で先頭を走っていた大東文化大との差は400m。そして19km地点の長い下り坂で一気に大東文化大・鞭馬講二に迫り、大磯駅前の20km地点でトップに立ったのである。
この時点で、日本大は総合順位でまだ東京農大に10秒ほど遅れをとっていたのだが、野中は残り1km地点でさらに猛然とスパート。平塚中継所に飛びこんだときには1時間4分39秒の区間新記録を樹立するとともに、首位を行く東京農大にも逆に10秒差をつけて総合トップに立ったのである。