- #1
- #2
プロ野球PRESSBACK NUMBER
神宮球場でバイトもしてた“無名学生”がまさかのドラ3指名「ヤクルトの選手になれるとは…」野村克也監督「おい、度会!」運命を変えたノムさんのひと言
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2024/12/18 11:02
入団会見で度会さんと故・野村監督
大学時代には友達に誘われて神宮球場の係員のアルバイトをしたこともある。当時のヤクルトは球団史上初のセ・リーグ連覇を果たし、黄金期の入り口に立っていた。
「そのヤクルトの選手になれるとは……。当時は古田(敦也)さんや池山(隆寛)さんがよくテレビに出ていて、楽しいチームなんだろうな、という風に見ていました。“珍プレー好プレー”に出ているあのメンバーだ! って。いざ入ってみても芸能人みたいに華やかな選手ばかりで、スター軍団だなと思って周りを見ていました」
叩き込まれた「ID野球」
初めてのキャンプでは、周囲の選手たちのレベルの高さに驚きながらも、紅白戦でいきなりヒットを打つなど必死に食らいついた。最も違いを感じたのは「ID野球」を掲げる野村監督による夜間ミーティングだった。
ADVERTISEMENT
「チーム宿舎の駐車場にプレハブ小屋があって、練習が終わって夕飯を食べるとそこに集まってミーティングが行われます。人としてどう生きるか、ということから配球、バッティング理論、野球観などありとあらゆることを教えてもらいました。まさに目から鱗、という感じでひたすらメモを取りましたね。ミーティングの後はすぐに夜間練習が始まって駐車場で素振りをしてようやく一日が終わる。プロのキャンプってやっぱりすげえなと感じる毎日でした」
池山、土橋、宮本…黄金期の内野陣
ルーキーながらに奮闘したが、現実は厳しかった。キャンプ終盤に左内転筋肉離れで離脱して二軍行き。そこから4年間、一軍に呼ばれることはなかった。ディフェンディングチャンピオンであるヤクルトの内野陣は、層が厚かった。二遊間には池山や土橋勝征が鎮座し、一塁や三塁には、ジャック・ハウエルやトーマス・オマリーら打力のある外国人選手が座る。度会さんが入団した翌年には、鉄壁の守備力を誇る宮本慎也もプロ入りしてきた。
「一軍の壁は本当に分厚かったです。二軍でいくら3割打っても、そうそう入れ替えなんてない。それでも頑張るしかなかった。とにかく腐らず、毎日汗水垂らしてやっていました。二軍でもポジションが固定されていたわけではなく、昨日はサード、今日はレフトというような感じで色々なところを守りました。でも結果的には、それが自分の野球人生の大きなプラスになったんです」
今も残る「後悔」
当時の出来事で一つだけ、後悔がある。発端は1年目の新人合同自主トレの時に、右肩を痛めたことだった。