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プロ野球PRESSBACK NUMBER
神宮球場でバイトもしてた“無名学生”がまさかのドラ3指名「ヤクルトの選手になれるとは…」野村克也監督「おい、度会!」運命を変えたノムさんのひと言
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2024/12/18 11:02
入団会見で度会さんと故・野村監督
「アピールしようと張り切ったんでしょうね。見せてやるぞ、という感じで投げたらブチッという音がして激痛が走りました。でもその時は少しの痛みで練習を休むような時代ではなかったですから、誰にも言わずに隠していました」
1年目のフレッシュオールスターで3打数3安打と活躍し、一軍昇格の話が出た頃、その右肩痛が再発した。ついにはボールも投げられない状態となり、昇格は見送られた。
「あそこでもし一軍で1打席でも立てていたら……。その悔しさはいつまでも残っていました。結局右肩の痛みは現役を終える時まで消えませんでした」
急遽呼ばれた一軍
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転機が訪れたのは1998年、3月8日のオープン戦だった。外野手が足りなくなり、急遽一軍に呼ばれた。「度会、ちょっとライトやってみろ」。野村監督の言葉に、一も二もなく頷いた。公式戦ではライトなど守ったことがなく、二軍でも練習でやっていた程度だったが、千載一遇のチャンスを手放すわけにはいかなかった。
「4年もファームにいたら、クビも覚悟するじゃないですか。だから出来る、出来ないじゃないですよね。とにかく死に物狂いでした」
不慣れなポジションを必死にこなしてオープン戦で結果を残した度会さんは開幕一軍を掴む。4月3日、巨人との開幕戦。「8番サード」の先発起用は、野村監督流の“サプライズ”だった。巨人の先発は桑田真澄。プロ初打席は2回裏に回ってきた。思い切り振り抜いた当たりは、三遊間を抜けるかというギリギリのところでショートに捕られた。それを横目に、一塁に捨て身のヘッドスライディング。これがセーフとなりプロ初安打を記録した。
忘れられない清原のひと言
「巨人のファーストは清原(和博)さんでした。ヘッドスライディングした時に、アンツーカーの土が清原さんの足に、ザバッとかかったんです。思わず『すみません!』って謝ったら、清原さんが言ったんですよ。『オレはお前みたいなガッツがあるやつは大好きだぞ』って。あれは印象的でしたね。本当に嬉しかったです」
プロ5年目、崖っぷちの26歳がようやく掴み取ったチャンスだった。
しかし、開幕からスタメンで起用され続けていた度会さんにアクシデントが襲う。 5月上旬、試合前練習でノックを受けている最中に転がっていたボールを踏み抜いてしまった。大きく捻った左足首に激痛が走った。