第101回箱根駅伝(2025)BACK NUMBER
「1月3日を終えて、私たちは年が明ける」〈第101回箱根駅伝〉次呂久直子幹事長(東海大学3年)が裏方として走り続けられる理由
posted2024/11/27 10:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Shiro Miyake
「本当は来年、幹事長になるために準備をしていたんです……」
今季、関東学生陸上競技連盟の幹事長に就任した次呂久直子さんは、苦笑交じりに、そう言った。突然の指名は、青天の霹靂だった。
関東学連の幹事長は、箱根駅伝終了後に新しい人に引き継がれる。次期4年生が引き継ぐことが多い中、今年は3年生になる次呂久さんが引き継ぐことになった。
「今年、幹事長になるつもりで、いろいろ見ていたわけではないので、スタートした時は知らないことばかりでした。予選会の時もいろいろ聞かれるんですけど、『それ何だろう?』『どこのことだろう?』ってことばかりで……。本当にみんなに助けてもらいながら、ここまでやってこられたという感じです」
陸上競技全般に関わりたかった
次呂久さんは、「じろく」と読む。非常に珍しい名前で、すぐに覚えてもらえるので、幹事長としてはメリットしかない。中高時代は、陸上競技部に在籍し、100mハードルをメインに活動しており、選手の気持ちはもちろん、競技運営も詳しくはないが理解していた。幹事長になるべくしてなった感があるが、当初は大学陸上競技部のマネージャーを考えていた。
「ボンヤリとマネージャーをやろうかなと考えていたのですが、東海大の陸上競技部は短距離と中長距離と分かれているので、マネージャーもひとつのブロックにしか関わることができないんです。私は短距離も駅伝も好きで陸上競技全般に関わりたかったので、どうしようかなと考えていた時、違う大学にいる先輩に『関東学連というのがあるよ』と教えてもらったんです。いろんな記事を読んでいく中で活動内容が、私の学部のスポーツ・レジャーマネジメント学科に通じるところがあったんです。私のやりたいことはこれだ。そう思って高3の冬、箱根駅伝が終わってすぐにコンタクトを取りました」
学連幹事になった時から「幹事長をやりたい」と思い、1年次から精力的に活動した。1年目の箱根駅伝は、スタートとフィニッシュの中継所での業務をこなし、2年目は東京、神奈川の陸上競技協会の審判の派遣業務として大手町から芦ノ湖まで配置図を作り、本番では最後尾の緊急対応車に乗車した。眠気やトイレの心配があったが、繰り上げ出発の確認や繰り上げ後も遅れて走る選手の管理もあり、忙しくて終わったら全身が脱力するぐらいに疲れた。審判派遣の経験をすると、箱根駅伝の全体が見えてくるため、幹事長の業務に生きてくると言う。