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野村克也もアメリカ人監督も絶賛した“169cmの日本人投手”「メジャーで通用する」「まるでやり投げの投球フォーム」山口高志を“生で見た”男たちの証言
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKYODO
posted2024/11/15 11:19
「まるでやり投げのフォーム」山口高志の伝説とは
“新人”山口を見た男たち…その証言
阪急の絶対エースだった山田久志は、〈力勝負からインサイドワーク、駆け引きを駆使した投球をしていかないとダメになっていく。そう思わされたのが山口高志の出現なんですよね〉(『ベースボールマガジン』2023年10月号)。この危機感からシンカーをマスターした山田は、そこから息の長い真の大エースへと変貌を遂げていった。
南海の選手兼任監督だった野村克也は、〈投球の9割はストレート。山口に配球などいらないのだ。逆に、打者はストレートしか来ないと思って打席に立てばいいのだが、それでも調子のいい時の山口は打てなかった〉(『私が見た最高の選手、最低の選手』野村克也/東邦出版)。
最も速かったと言われる新人の年は、12勝13敗1セーブ、防御率2.93。好不調の波が大きかったが、阪急の上田利治監督は切り札として先発、要所のリリーフに使い続け、山口はチームの前期優勝、プレーオフ優勝、日本シリーズ優勝のすべてで胴上げ投手になり、新人王にも輝いた。
特に、日本シリーズでの活躍は目覚ましく、この年のオールスター戦から勢いに乗って「赤ヘルブーム」を巻き起こしていた山本浩二、衣笠祥雄擁する広島を相手に、6試合中5試合に登板して1勝2セーブと完全に封じ込んだ。
シリーズMVPに輝いた山口の活躍で、阪急は4勝0敗2引き分けで球団創設40年、日本シリーズ挑戦6度目にして悲願の日本一を達成したのだった。
このシリーズでの山口の球がどれほど速かったか。数々の証言が残されている。観戦したジョー・ルーツ前広島監督は〈その素晴らしいスピードはシリーズ中広島の打棒を完全に封じた。1人のプレイヤーがこれだけ素晴らしい働きをしたのは、私の長い野球生活でも初めてのことだった〉と語り、阪急の捕手だった河村隆一郎は後に〈対戦した広島の山本一義さんは<見えん。見えんかった>と言っていた〉(『剛腕ルーキーの「398球」』ベースボールマガジン2023年4月号)。
2年目以降の山口は、先発、リリーフと持ち場が固定せず、自身の好不調の波も大きかったことから、期待されたほどの成績を上げることができなかった。
速球に生きた男
4年目の1978年は、チームの先発に大エース山田に加えて、今井雄太郎や佐藤義則などの駒が揃ったことから、ほぼリリーフ専任になり、13勝4敗14セーブという好成績を残し、最優秀救援投手のタイトルを獲得した。しかし、この年の日本シリーズ前に腰を故障し、以後全盛期の速球がよみがえることはなかった。