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「自分が投げる前に終わってほしい」日本シリーズ“完全試合”のウラで中日エース川上憲伸が抱えていた葛藤…敗因を聞かれ「反省しろってことですか?」
 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byTamon Matsuzono

posted2024/10/14 11:01

「自分が投げる前に終わってほしい」日本シリーズ“完全試合”のウラで中日エース川上憲伸が抱えていた葛藤…敗因を聞かれ「反省しろってことですか?」<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

2007年日本シリーズ第6戦で先発予定だった中日のエース川上憲伸。第5戦の完全試合継投により登板機会は訪れなかったが、この試合をどう見ていたのか

〈今の投手陣の力があれば怖がらなくていいと思いますと伝えました。セ・リーグの巨人や阪神が相手だと、相手の読みの裏をかいたりしなければならないんですが、あの年の日本ハム打線に関しては、それぞれの投手が自分の武器を出していけばそうそう打たれないようなイメージでした〉

  川上が予感した通り、中日は第2戦以降も相手打線を封じ、3連勝で一気に日本一へ王手をかけていた。そして、この第5戦も先発山井のスライダーに対して相手は打開策を見つけられていなかった。それが、このまま終わるのではないかという川上の楽観的願望に繋がっていた。

 ただ、腹の底を覗けば、キャリーバッグを空っぽのままにしているのには、もう一つ理由があった。

〈できれば自分が投げる前に終わってほしいという気持ちがあったのは確かです。正直、また札幌で投げるのはしんどいなと〉

 長いシーズンの最終盤、エースの心と身体は人知れず摩耗しきっていた。

「どこで投げたいのか、言ってみろ」

 川上はまだ星野仙一が監督を務めていた1998年、明治大学から逆指名で中日に入団したが、本当の意味でエースとなったのは落合博満が監督に就任した2004年からであった。落合中日1年目のそのシーズンに17勝を挙げて、リーグ優勝の立役者となった川上は以降、あらゆる節目のゲームを託され、毎年10勝以上の勝ち星を稼ぎ、チームの常勝を支えてきた。この2007年シーズンも前半戦を終えた中断期間中に、監督室へ呼ばれた。そこではペナントレースの日程表を前にして落合とバッテリーチーフコーチの森繁和が腕組みしていた。

「まずお前の投げるとこが決まらないと後半戦のローテーションが組めねえんだ。どこで投げたいのか、言ってみろ」

 森は言った。それは読売ジャイアンツと阪神タイガースのどちらを相手に選ぶのか、という意味だった。2000年代中盤、セントラル・リーグの覇権を争う相手は原辰徳率いる巨人と岡田彰布の阪神、ほぼこの2球団に絞られていた。落合と森はそのライバルに対し、日程が許す限り徹底的にエースをぶつけた。

敗因を聞かれ「反省しろってことですか?」

 毎週、超満員のスタジアムでマウンドに立ち、ペナントレースの行方を左右するゲームに投げる。落合の野球は守りの野球であり、点が取れないのならば、点をやらなければいいというスタイルである。必然的にどの試合もほとんどが1点差ゲームで、小笠原道大やアレックス・ラミレス、金本知憲といった球界を代表するスラッガーと神経を削るような紙一重の勝負を繰り広げることになった。川上は森の問いかけに「お任せします」とだけ答えたが、極度の重圧と緊張に身を浸し続けるうち、摩耗は進んでいた。

【次ページ】 敗因を聞かれ「反省しろってことですか?」

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