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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「作中の比ではない弱小校」学習院大から学連選抜へ…池井戸潤『俺たちの箱根駅伝』を読んだ川内優輝の回想「予選会出場で胴上げしました」
posted2024/09/07 11:01
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Yuki Kawauchi
2019年4月からはあいおいニッセイ同和損害保険と所属契約を結び、プロランナーに転向した川内さん。学連選抜を経験し、いまもプロとして活躍する彼は、『俺たちの箱根駅伝』をいかに読み、自身の経験を語るのか――。<全2回の前編/後編はこちら>
――学習院大学2年生だった2007年、83回大会にはじめて学連選抜として箱根駅伝に出場されました。それが学習院大学初の箱根路出走だったんですね。
川内 そうですね。大学の皆さんはもちろん、予選会翌日から様々な人が注目してくださって、箱根駅伝の影響力の大きさをひしひしと感じました。
一番衝撃だったのは、復路当日、早朝なのにもかかわらず、箱根・芦ノ湖からスタートする6区の3地点くらいに大学の応援団が来てくださっていたことです。初めての出場で手順が分かっていなかったので、特に連絡を取ったわけではないのですが、走っていたら応援団が見えて感激しました。
その経験から、2度目の出場となった2009年の85回大会では、出場が濃厚になった段階で、正式に大学へ応援を依頼しました。そうしたら、応援団とチアリーディング部、吹奏楽部の方々が100人以上芦ノ湖のスタート地点まで来てくださって。復路は8時にスタートするのですが、都内から来ていては間に合わないと、応援団同士のつながりがあった大学にお願いして、神奈川県内の寮にその100人が泊っていたそうなんです。僕が当日の早朝に現地で歩いていたら、すでに応援団の方々がいらしていて驚きました。聞くと、朝3時半に寮を出発したのだとか。学連選抜で出場する一人のために、ここまでしてくださるのかと感動しました。
最初の出場のときにも、陸上部OBがカンパでのぼり旗を100本作ってくれましたが、さらに2回目のときは大学側が追加で100本と、カンパで大きな横断幕を2つ用意してくださって。それを持って、学生部や学生部長、学長まで沿道に来て応援してくれました。
当日、6区のコースだった函嶺洞門を抜けたところにある崖に、「夢をありがとう 川内優輝」と書いてある横断幕を見つけたときには、涙が出るくらい嬉しかったです。最後までもうひと踏ん張りするための元気をもらいましたし、大学全体が、初めて箱根路を走ったということをこんなに誇りに思ってくれているんだということがありがたかったですね。
予選会のタイムをクリアしたら胴上げ
――陸上部のチームのみなさんの反応はいかがでしたか?
川内 『俺たちの箱根駅伝』にも弱小校出身のメンバーが描かれますが、当時の学習院はその比ではないほどでしたね。箱根駅伝の予選会に出場するには、エントリーメンバー全員が5000m、10000mで規定内の公認記録を持っていなければなりません。記録会で最後のメンバーがそのタイムをクリアできたら、胴上げして喜んでいました。
僕の一つ上の先輩方は人数も多かったのですが、先輩方が抜けてから4年生の時も予選会出場が難しい状態で。しかし新入生が5人入ってくれて、僕も公務員試験中だったんですが、埼玉県庁の1次試験の前日に記録会でペースメーカー役で引っ張って走ったり……当時、5000mを17分以内というのが規定だったんですが、それを最後の子が16分59秒76、と小説みたいなタイムで切ってくれたんです。
箱根駅伝の予選会本番でも、途中棄権などが出てチーム記録が残らなかったら学連選抜にも選ばれないと言われており、10人が完走してタイムを出さないといけない。件の子は腰を痛めていて、コルセットを巻きながら走るような状態だったのですが、それでも頑張ってゴールしてくれた。そのおかげで僕は学連選抜のメンバーとして出場することができました。
そのメンバーたちの思い、大学関係者や、応援団の方々の思いをすべて背負って、箱根を走っているような感覚でした。
――出場された2回は、どちらも6区での出走でした。この区間を選んだのはなにか理由が?