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野球クロスロードBACK NUMBER
大谷翔平の甲子園を阻止…あの“ポール際の一発”を放った「盛岡大附の4番」が野球を続けるワケ「大谷選手が…みたいなのはないですよ」
posted2024/07/09 11:04
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
(L)Sankei Shimbun、(R)JIJI PRESS
あの「盛岡大附の4番打者」は、今季から関西に
二橋大地は今年、7年間プレーした社会人野球チームの三菱重工Eastを離れ、三菱重工Westへ移籍した。
始まりは、突然だった。
昨年11月の社会人野球日本選手権が終わると大川広誉GMから連絡があり、Westへの移籍を打診されたのである。当時のチームは長距離バッターを求めており、二橋の能力を買っていた大川には「環境を変えることによって、秘められた能力を開花させてほしい」といった狙いがあったというのだ。
社会人である二橋にとって、それは関東から関西への転勤も意味していた。
真っ先にふたつの選択肢が去来する。
「ここ数年、代打とかが続いていたんで『環境を変えて頑張りたい』という気持ちと。あと、ふたり目の子供が生まれたばかりだったんで、『来年(2024年)30になるし、家族も増えたし残ったほうが』と葛藤がありました」
野球人生の交差点に立つ二橋は、「いろんな人に相談した」という。
そのひとりに、盛岡大附の監督であり、二橋にとって恩師でもある関口清治がいた。
「せっかく新しい場所を提供してもらえたんだし、求められるのならそこに感謝してWestに行ったほうがいいんじゃないか。今と違う立ち位置を手にできるかもしれないし」
そう言って二橋を後押しした理由について、関口は高校時代の教え子を思い出しながらこのような親心を覗かせていた。
「とにかく練習する子なんです、二橋は。おそらくですけど、30になる年齢でもそういう若さというか、ひたむきな心が、若い選手たちのお手本になるという。そこをチームから評価してもらえたのかもしれないな、と思ったものですからそう伝えました」