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「いまの彼は次元が違い過ぎる」大谷翔平から“あの”ポール際ホームラン…盛岡大附→三菱重工West・二橋大地が語る「打者・大谷」のとてつもなさ
posted2024/07/09 11:05
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
盛岡大附の関口清治は、監督として現役選手に必ずといっていいほど伝える逸話がある。
それは、花巻東の「160キロピッチャー」大谷翔平を攻略した、2012年夏の岩手大会決勝だ。もちろん、どのようにして大谷の剛速球を打ち砕いたのかといった試合の核心に迫るシーンもあるが、今を生きる現役世代に焼き付けてもらいたいのは、先輩たちが「打倒大谷」に情熱を滾らせた青春の記憶である。
そのなかには当然、大谷から試合を決めるホームランを打った二橋大地もいる。
「守備が苦手な子でしたから、とにかく打に偏った選手で。『いつまでバットを振ってるんだろう?』っていうくらい、バッティング練習に関してはかなり貪欲でした」
11年の秋に大谷の牙城を崩すと誓い、1点を守り勝つ野球から攻撃野球にシフト変更した盛岡大附において、最大のポイントゲッターが4番バッターの二橋だった。
大谷の速球対策として、普段の18.44メートルよりはるかに近い10メートルの距離から全速力で投じられるウレタンボールを捉えるべく、ひたすらバットを振る。シーズンオフ限定で盛岡大附の指導を買って出てくれた、光星学院(現:八戸学院光星)の総監督(当時)である金澤成奉の、静から動ではなく、動から動のバッティング――つまり、大谷がピッチングモーションに入った時点で、すでにスイングの体勢に入っているといった指導の甲斐あって、二橋は長距離砲として芽吹き始めた。
とりわけ得意だったのが内角のストレートで、ホームランの多くが豪快に引っ張ったレフトポール際への打球だった。
大谷から放った、高校通算39本目の一発がまさにそうである。