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「自分で歩きよった。他の選手が支えてくれて…」中1で“骨肉腫”に罹った名門ボーイズ選手の話…闘病を支えた仲間たちとの「その後」
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by本人提供
posted2024/07/05 17:03
名門・生駒ボーイズ所属時代に骨肉腫に罹った音野峻也。現在は病を克服し、強豪・東北福祉大で学生コーチを務める
同期は「エンジョイ・ベースボール」慶応高にも
音野の幼馴染だった本間颯太朗は関西を離れ、慶応高校(以下塾高)に進学する。塾高は会長の息子の植田兄弟(弟の将太は現千葉ロッテ)らも進学していて、勉強の評定があれば推薦入試が受けられる。
「プロ野球に行きたいと思ってましたが、背が小さくて高卒でプロに行くイメージが全くわかなかった。大学からプロに行くには六大学から行くのが開けるなと思った。中学で勉強の評定は取れていて、植田会長に『慶応高校を受けられるけど、どうする』と言われて。挑戦することに決めました」
8月に引退してからは受験勉強に集中した。
塾高では近くの寮で一人暮らしをした。
塾高は2023年の夏、甲子園で優勝し『エンジョイ・ベースボール』で注目された。監督の森林貴彦は15年に監督に就任し、本間が入学した18年は森林監督4年目になる。選手に任せる指導者だったと本間は言う。
「森林さんは選手にチャレンジする場を整えてくれてました。技術もチーム作りに関しても選手の自主性が重要。『さあ考えて、考えて』と常に言われました」
技術的な指導をあそこまでしない監督は他にいないのでは、という。学生コーチも強制させることはなく、選手の考えを整理する手助けをする役割で、やりたいようにやらせてもらった。
生駒ボーイズは、練習はハードで挨拶、短髪の規律もある。『エンジョイ・ベースボール』とは対極にあるといっていい。ただそこは「生駒ボーイズでの土台が高校野球のステージで活かされた」と本間は断言する。
「いきなり塾高の環境にポンと放りだされても、おそらく何もできない」
強くなるためには「量をこなさないといけない」とあらためて感じるという。
「中学生が自分で考えて、あれだけの練習量をこなせるかと言われれば、絶対にできない。野球選手としての基礎を作っていただいたのは生駒ボーイズだと思ってるんで。どれだけバットを振れるか、強いボールを投げるかという基本。僕のこれまでの野球人生では必要なピースだった」